はじめて
新入学であれ初会合であれ、或いは初めての稔りや出会いは、新鮮な緊張に溢れていて好きだ。
人との出会いもそうだが、ブドウを最初に育てた時にはおっかなびっくりの毎日だった。
摘芽や花房整理、誘引や剪定などの初体験を経て、今では彼女たちとの付き合いも慣れっこになっている。
早生のデラウエアは既に花芽を充実させているし、晩生は徐々に芽を膨らませつつある。
キュウリやインゲンもすくすくと育っているし、ダイコンだって順調だ。
何れも今年初めての作物(の芽生え)で、それぞれ春の実感を味わいつつ、思いを込めて慈しんでいる。
ところで・・・年々歳々この「はじめて」と言うこと(事象)が減っていく。
70年以上も生きているんだから当たり前のことだが、それはとっても残念なことでもある。
だから異図して、はじめて(ここへ行ったとか、これをやり遂げたとか)を創ろうとしている。
マラソン大会だって例年通りの大会もよいが、(prefer)初めてのコースは別格である。
だって初めての中には不確実性が濃厚にあって、その不確かさを愛でるのも醍醐味だからさ。
マーガレット・ドラブル(英国)のWhen nothing is sure,everthing is possible.だろう。
確かに「はじめて」の中には、ワクワクする様な可能性が満ちている。
今この瞬間を逃したら、同じ出会いは二度と無いかも知れないという緊迫感と言うべきか。
そんな「はじめて」を追い求めるのが、実は人生というヤツかも知れない。
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