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2019年4月21日 (日)

余呉の古戦場

今朝は、痛む体を労りながら賤ヶ岳(421m)に登った。

余呉湖は、柴田勝家が開削した北国街道が近江へと広がる要の位置に聳えている。Img_2972

さほど高くはないが、この地を通らなければ湖南には出られないのである。Img_2970

秀吉は長浜城主だったし、小谷城を長年に渡って攻略していたから、ここの土地勘は抜群である。Img_2971

必然的に賤ヶ岳周辺の山々に砦を築き、雪解けと共に勝家の出てくるのを待っていたのである。

案の定、この地で戦線はにらみ合いの膠着状態になった。Img_2973

その均衡を打ち破ったのは、勝家の甥佐久間盛政の突出と秀吉の美濃の大返し(大垣から52kを五時間)だった。

結果は、前田勝家らの戦線離脱もあって、勝家は北国街道を退却し、秀吉はこれを追った。Img_2975

私自身、こんな余呉湖が狭隘にしている所が何故決戦場になったのか不思議に思っていた。

賤ヶ岳の山頂に立って余呉湖から北を見渡すと、勝家の本拠としていた越前の方向が見渡せる。Img_2976

正に雪深いところで、その雪に勝家が立ち往生している間に、秀吉はすっかり万端の工作をしていたのである。Img_2977

ともあれ、静寂に包まれた美しい湖畔は、余呉湖が赤く染まったという古戦場なのである。

私達が十周した余呉湖は、七本槍は勿論のこと、毛受兄弟や中川清秀らの運命を変えた歴史の地だ。Img_2979

 

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