ちゃんと今を
ランナーにも、勿論色々な人が居るけれど、総じて前向きな人が多い。
先日の勉強会で、「私、ありがとうランナーになろうと思っています」と仰った方がいた。
沿道のサポートに感謝するだけでなく、自分の足や体、頑張りにも「有り難う」と言い続けようと仰る。
そして昨日よりも今日、来年、そして再来年を自分にとって最高の年にするのだと。
目元には和やかな微笑みを浮かべ、とても超ウルトラマラソンを走る人とは思えない。
彼女の話を聞きながら、「あぁ、この人は今を生きようとしているのだ」と思った。
翻って移り気の私なぞは、何時もキョロキョロ何か良いことはないかと、今を生きている自覚はない。
今日は特別支援を含め、保育園の大勢の子供達が我が家を訪れた。
サツマイモの蔓を挿し、ラッカセイを植えるためにやってきたのである。
畑を準備していたとは言え、そこは一糸乱れず作業をすると言う訳には行かないのが子供だ。
芋の蔓挿すことがどんな意味を持つのかよりも、手元の土塊や友達、手洗いの水の方が面白い。
目の前のことに精一杯な子供達、そうやって色々なことを経験しながら成長していくのだ。
さて、成長の伸びしろの少なくなった私などは、どうやって今を生きれば良いのだろうか。
私の毎日は、ブドウの世話をしたり、山を走ったりすることだが、それ自体懸命ではあるが果たして命を燃焼しているのかどうか。
何時の間にかドンドン年月だけが経過していくようで、時々「これで良いのかなぁ」と思う。
今生きるとは、或いは今(この時)を感謝することかも知れない。
今日は、大根を収穫し、新たに夏大根を蒔いた。
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