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2019年5月 7日 (火)

出生の地(岡崎城)

岡崎と言う所に、何故かこれまで縁が薄かった。

今回岡崎城を訪ねて、改めて三河の広大さ(農業的豊かさ)に気が付いたような気がする。Img_3080

言うまでも無く岡崎城は、天下人となった家康の出生の地である。Img_3081

とは言え、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、岡崎城に帰ったのは桶狭間戦の後(19歳)だ。

彼はこの岡崎城を拠点に次第に地歩を固めるのだが、在城は10年で、戦略上本拠を浜松に移している。Img_3082

しかし出生の地への思いからか、全国を掌握した後も譜代の重臣(石川数正、本多氏、水野氏ら)を城主とした。

石高は5万石に過ぎなかったが、家臣にとって岡崎城主になることは誇りだったようだ。Img_3083

ともあれ最後の城主本多忠直は、明治(廃藩置県で)になって初代市長を務めている。

そして現在、昭和34年にほぼ昔通りに復元された天守閣が聳えている。Img_3084

波瀾万丈を経て天下を取った人間にとって、出生の地がどの程度貴重なのかは分からない。

しかし貧乏百姓生まれの私だって、やはり自分の生まれた所には多少の思い入れはある。Img_3086

もっともそれは、望むらくは将来とも廃墟にならないようにと祈念する程度に過ぎないが。

それはともかく、長篠の闘い前夜、家康はこの岡崎城で対武田戦に備えていた訳だが、Img_3087

武田との間合い(距離)は、たったの(私達が8時間掛けて走った)70kほどに過ぎなかったのである。Img_3088

何だか、歴史がImg_3082 手の平の上に乗ったかのような気分になった。

 

 

 

 

 

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