味噌の思い出
岡崎の八丁味噌資料館を訪れた。
酒に味噌・醤油、それに納豆や沢庵は古くからの代表的農産加工品だ。
岡崎の八丁一帯は味噌造りが盛んだったらしく、江戸期以来の味噌蔵が何軒か残っている。
そのうちのカクキューを訪れたのだが、酒蔵ならいざ知らず、その味噌蔵に大勢が詰めかけていた。
味噌ソフトを食べながらガイドツアーを待ち、いよいよ資料館へと入っていく。
資料館は明治40年の建物らしく、その頑丈な建物の中に仕込み作業や桶などが陳列されている。
ここの味噌は赤味噌で二夏二冬寝かせるらしいが、味噌は大豆と塩・麹で造ることに変わりない。
それで、私も味噌を造ったなぁ~と記憶が甦ってきた。
八丁味噌は大豆を蒸して造るから赤味噌になるが、私の家では大豆を風呂釜で茹でて白味噌にした。
私が小学3~4年生位までだったろうか、味噌造りは初冬の年中行事だった。
その茹だった豆を臼に入れ、塩と麹をませて杵でポッテンポッテンつくのである。
釜屋の隅に四斗桶が三つほどあって、それが一杯になるまで半日がかりであった。
それが一年間の一家の(手前)味噌であり、貴重なタンパク源でもあった。
それはビニールなどの無かった時代だから、油紙や新聞紙で密封したのだが、上部の5cm位はいつも腐っていた。
農家の食料は基本的に自給自足だった訳で、(それでなきゃ生きられなかった)一方町場では商品経済が進んでいた。
味噌汁、そう毎朝女房の味噌スープを飲む度に、生き返ったような気分になるのは私だけだろうか。
| 固定リンク
« 出生の地(岡崎城) | トップページ | 男川 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント