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2019年5月 8日 (水)

味噌の思い出

岡崎の八丁味噌資料館を訪れた。

酒に味噌・醤油、それに納豆や沢庵は古くからの代表的農産加工品だ。Img_3091

岡崎の八丁一帯は味噌造りが盛んだったらしく、江戸期以来の味噌蔵が何軒か残っている。Img_3092

そのうちのカクキューを訪れたのだが、酒蔵ならいざ知らず、その味噌蔵に大勢が詰めかけていた。

味噌ソフトを食べながらガイドツアーを待ち、いよいよ資料館へと入っていく。Img_3093

資料館は明治40年の建物らしく、その頑丈な建物の中に仕込み作業や桶などが陳列されている。

ここの味噌は赤味噌で二夏二冬寝かせるらしいが、味噌は大豆と塩・麹で造ることに変わりない。Img_3097

それで、私も味噌を造ったなぁ~と記憶が甦ってきた。

八丁味噌は大豆を蒸して造るから赤味噌になるが、私の家では大豆を風呂釜で茹でて白味噌にした。Img_3098

私が小学3~4年生位までだったろうか、味噌造りは初冬の年中行事だった。

風呂桶に一晩大豆を浸けて、私が藁や焚き木を燃して茹でる。Img_3099

その茹だった豆を臼に入れ、塩と麹をませて杵でポッテンポッテンつくのである。

釜屋の隅に四斗桶が三つほどあって、それが一杯になるまで半日がかりであった。Img_3100

それが一年間の一家の(手前)味噌であり、貴重なタンパク源でもあった。Img_3101

それはビニールなどの無かった時代だから、油紙や新聞紙で密封したのだが、上部の5cm位はいつも腐っていた。

農家の食料は基本的に自給自足だった訳で、(それでなきゃ生きられなかった)一方町場では商品経済が進んでいた。

江戸の昔から、味噌は立派な流通商品だったのである。Img_3103

味噌汁、そう毎朝女房の味噌スープを飲む度に、生き返ったような気分になるのは私だけだろうか。

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