自画像
岡崎城を訪ねた折、天下人になった家康の像が幾つかあったが、それよりも三方原敗戦後の肖像が印象的だった。
家康はこの敗戦を忘れないために、苦虫をかみつぶしたような変な肖像を大切にしたと伝わる。
功なり名を挙げた人物は、とうに自分の惨めな姿を忘れ去っているものだ。
やはり家康は、人並み外れた才気の持ち主だったのだろう。
かくありたいとか、そうあるべきとか・・・兎に角色々な要素を含めて、納得いく自分の像をイメージする。
実際にはビール腹になってたり、顔だってデレーっと垂れ下がっていたとしてもだ。
化粧やお洒落はもとより、ダイエットが流行っているが、理想の自分でありたいという気持が強いからだ。
実はこの私にも、心の中にはかなり精悍で利口な顔をした自画像がぼんやりとだが在る。
実際にはハゲちゃびてシワシワのジジイだが、どこかに理想の自分のイメージがあるから生きられる。
保育園の子供達がやってきて「お爺さん、今日は」と言ったが、私は返事をしなかった。
「お兄さん、今日は」に訂正させて、やっとニコリと笑って彼らの相手をした。
以来彼らは私の前では「お爺さん」などとは決して言わない、人間なんて誰でもそんなもんでしょ。
私の「遺影」は已に準備してあるが、これも私のイメージする自画像とはかなり違う。
写真屋にあれこれ注文して直させたのだが、どうも頼んだ写真屋の腕が悪かった(?)。
それにしても、私は今日一日どんな顔をして過ごしただろうか。
Today is first day of the rest of your life.と思って生きているのだが。
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コメント
兄貴、遺影の準備してますか?
そうなんですね!
我が家の妻は、私が死ぬ時には、必ず私が妻に礼を言って死ぬだろうって!言いますよ。
そうだろうと実際思っています。
君のお陰で楽しい人生だったと…
最近は、私が先に死ぬ事もあるから一人で生活出来る様にと洗い物からゴミ出しまで、出来ない事の無いように努力もしてます。
人はいつ終わるか分かりませんね。
終活は常々行うべきでしょうね。
投稿: ひろ | 2019年5月15日 (水) 20時58分
遺影は兎も角として、人は理想の自分を追い求めるもの。五十を過ぎたら自分の顔に責任を持て、何て言われるのも、生活習慣が浮かび上がるからでしょうね。
私もそれなりに生きてきたはずだけど、どうも納得の行く自画像になっちゃいない。そんな思いを書きたかったんだけどね・・・。
山草人
投稿: 山草人 | 2019年5月16日 (木) 13時23分