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2019年5月 4日 (土)

長篠の闘い前夜

今日は、1575年の信玄亡き後、京に登らんとした勝頼の話である。

この年、勝頼は信長方の長篠城(奥平貞昌)を一万五千の軍勢で囲んでいた。Img_3021

長篠城は深い川の彫り込みに囲まれた要害の城で、城兵500に過ぎないのに容易に落ちない。

しかし、兵糧は尽きて日に日に疲弊し、落城は時間の問題と言うところまで来ていた。Img_3022

「何とか、救援を・・」と必死の使者を買って出たのが鳥居強右衛門だった。

彼は夜陰紛れ堀を潜って武田の囲みをすり抜けて、65k離れた徳川家康の岡崎城まで走った。Img_3023

「もう、草木も食べ尽くし、食べる物とて無く、落城は必死、何とか救援を・・」と縋ったのだ。

信長と腹を合わせ(馬防柵など)準備を重ねていた家康は、「合点、直ちに駆け付ける」と約束する。Img_3024

そこまてで強右衛門の役割は終わっても良かったのだが、彼は仲間のために再び65Kを走って駆け戻る。

ひもじく死にかけている仲間を、何としても元気づけたかったのだろう。Img_3025

当然ながら、武田の検問で捕らえられ、「援軍は来ない」と言えと十字架にくくりつけられる。

しかし強右衛門は、待っていたとばかりに大音声で「今すぐ、4万の大軍が助けに来るぞー」と叫ぶ。

その刹那、強右衛門は殺されてしまうのだが、その時信長は切楽原に三重の馬防柵と三千丁の鉄砲を準備していた。

それに気付いた勝頼は、長篠城の囲みを解いて設楽が原へと展開し、やがて運命の突撃を命じるのだ。Img_3026

千棟は時間続いたと言うが、武田の主だった武将は次々に討ち死にし、勝頼は這々の体で逃げ帰る。

それが、戦国の戦を変えたと言われる長篠の闘いだ。

さて、明日はその長篠の闘いを再現する長篠祭りである。

それで明日私は、家康のいた岡崎城から長篠までの65Kを走ろうとしている。

戦国の強右衛門は、この65Kを必死で往復したのだから、私にも出来ないはずはなかろうて。

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