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2019年6月25日 (火)

富士山のほら穴

今朝は昨日とは一転、宿の窓枠一杯に富士山の雄姿が臨まれた。

その富士山のご神体は、サクヤコノハナ姫とされている。Img_3436

その秀麗な美しさ故に、或いは醸し出されている優しさ故であろうか。

そうして信仰の山として、精神的な支柱の山として、正にこの国のシンボルとして聳えてきた。Img_3438

実はこの富士山、幾つも重なりあって沈み込む地構体の交点にあって、この列島の生成と大きく関わっている。Img_3440

古富士や宝永など幾つもの噴火を経て、今日の単独峰としての富士山が出来上がっているのだ。

その富士山が世界自然遺産として指定されたのは2013年だが、その歴史や自然からすれば如何にも遅かった。Img_3441

ともあれ世界遺産指定を機に、富士河口湖と富士宮に世界遺産センターが開設された。

今日はその二つの世界遺産センターを訪れたのである。

富士山は知れば知るほどその奥行きに驚くのだが、二つのセンターを見比べて一層その感を強くした。Img_3443

富士南麓には「かぐや姫」伝説があり、その縁の地(竹採塚、囲いの道、見返り坂、鏡石など)も数多く残されている。

そして古典文学の「竹取物語」では姫は月に帰るのだが、この地の伝承では富士のほら穴に帰るのである。Img_3445

確かに富士山周辺には洞穴や風穴などのほら穴が多いのだが、伝承では山頂近くの釈迦ヶ岳のほら穴とされている。

勿論今日ではその穴は不明だが、私達はそれは「人穴」ではないかと訪ねたのである。Img_3446

冨士講は冨士浅間神社を出発点に、人穴を参って山頂を目指すのが習いで、その奥行き80mほどの人穴こそかぐやの里では無いかと考えたのである。

富士山が女体とすればその女陰の位置にあって、ひんやりとした洞窟の中には川が流れ、何事か秘め事を思わせる。Img_3452

さても、かぐや姫はサクヤコノハナ姫であったのかどうか・・・暫しの富士漫遊であった。

 

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2019年6月24日 (月)

雨の湖畔

山中湖畔は、予報通り朝から冷たい雨である。

コテージで軽い朝食を戴くと共に皆でお弁当(お結び)をつくり、8時前から宿を飛び出していた。Img_3424

昨夜幾分飲み過ぎたのか体がかなり重いが、出来れば山中湖と河口湖をぐるりと回るつもりであった。

淡々と山中湖畔を7kほど走り、右に折れて河口湖に向かったのだが、途中で忍野八海に立ち寄ることにした。Img_3425

古き良き時代の日本の村でもある雨の忍野村は、やはり外国人で賑わっていた。

その地底からこんこんと湧き出す泉を覗き込み、暫しの富士の自然を味わっていた。Img_3427

そこから誤ったと言おうか、忍野から山を越えて12時近く、やっと辿り着いたのが富士吉田の東端で、河口湖は遙かに先であった。Img_3428

止む無く138号線を引き返すことにし、山中湖をぐるっと回って14時半過ぎに宿に着いた。

6時間半、雨の中を概ね35k程走ったことになる。Img_3430

湖面には大白鳥が浮かび、水上スキーを楽しむ若者達もいたが、流石に月曜で静かである。Img_3432

その雨の湖畔を、私達だけがのんびりと走っている。

富士北麓は、幾分のレトロな風情を残しつつ、圧等的な富士の存在感の元に息づいている。Img_3434

その富士山は裾野の一部を見せただけであったが、・・・北麓は麗しい。

こう言う一日の過ごし方もあるのだ。

 

 

 

 

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2019年6月23日 (日)

武田の館

今年は、武田直虎が甲府の躑躅が崎に本拠を置いてから、丁度500年に当たる。

あの「人は石垣、人は城」と謡われて、武田三代(直虎、信玄、勝頼)が根拠地とした城址を訪ねた。Img_3423

武田氏が滅びて(江戸期に)甲府城が出来ると荒れ地になっていたが、今は武田神社が鎮まり、今年4月には信玄ミュージアムが開設された。

発掘調査も進み、将来の城址公園として整備も進められるようだ。Img_3417

ともあれ、その躑躅が崎を今回初めて訪れたのである。

やはり想像通りと言うべきか、堀が深く掘られてはいるが巨大な石垣がある訳では無く、人を石垣とする武田を思った。Img_3418

信州や駿河をも支配下に納めた巨大な領域を考えれば、壮大な城郭があっても不思議はないのだが、誠に質素な城である。

その一つの曲輪跡から丁寧に埋葬された馬の骨格が発見されたのだが、その馬の背が160cmと小ぶりだ。Img_3419

武田の騎馬隊と言えば、織田信長などを震え上がらせたとの説があるが、武田軍団の実態はやや違ったのだったかも知れない。

ところで今日は山中湖のリゾート泊まりである。Img_3420

今回は仲間4人での気儘なツアーで、明日は雨だろうが・・・この近在を走ろうと思っている。Img_3421

外は、1mも先の見えない霧で覆われ、大粒の雨が降っている。Img_3422

 

 

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2019年6月22日 (土)

我が長所は何処に

この期に及んで、自らの長所と短所を考えさせられることになった。

今日は恒例の「人生を考える勉強会」で、そのテーマが長所と短所だったのである。Img_3406

外面的長所(運動や芸能)は、短所を無くすよりも長所を伸ばせと言う。

その逆に、内面的な部分はむしろ短所の方を克服しろと、先生は諭している。Img_3407

そもそも短所長所は程度問題で、能弁は過ぎれば饒舌となるし、勇敢は時に粗暴になってしまう。

私のように規律的な人間は、融通の利かない朴念仁となるだろうし、自分じゃそれが分からないものさ。Img_3409

それはそれとして、果たして自分の長所は何だろうかと考えてみたのだが、はて「俺の長所?」で行き詰まった。

短所なら、根気が無いとか内気だとか、情に脆い、緊張するとどうしようも無いとか、数々浮かぶのだが。Img_3410

これが俺の伸ばすべき長所だったなんてのは、どう考えても出てこないのである。

或いは長所なんてのは人が評価すべき物で、自分では分からない物と言って良いだろう。Img_3413

仮に分かっているとしたら、或いはそれは慢心の可能性が高いのでは無いか。

教師の最大の役割は、(NBAドラフト9位指名の八村のように)その子の長所を見いだしてやることだ。Img_3414

残念ながら、義務教育の9年間を通じて、私は教師から褒められると言うことが無かった。

而して、自分の長所も分からずに70年余を生きてしまったのだが、それが良かったのかどうか?Img_3415

ともあれ、17歳と71歳の違いは何かという話になった。

正解は、自分探しをしているのが17歳、皆が自分(徘徊老人)を探しているのが71歳らしい。Img_3416

しかし私は、未だに自分を探して彷徨っているのである。

 

 

 

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2019年6月21日 (金)

目指せピンコロ

隣家に早朝から車が出入りし慌ただしいと思ったら、やはり葬儀ができたという。

そうかと思ったら、入院中の近所に住む同級生の様態が芳しくないという話も飛び込んできた。

戦後の一大ムーブメントである団塊の世代だが、そろそろ最後のイベントを賑わせ始める年代になってきた。Img_3401

今朝も山でNさん(私より4歳上)と会ったが、開口一番「寂しいよ」であった。

同期生の訃報が次々と続いているらしく、「明日は、我が身か」と言うのである。

人間生きている限り、一度は死ななきゃならないのが人生というヤツだからムベなるかなである。Img_3402

しかしながら、呆けたり、意識の無いまま長期入院したりして、家族を困らせるのは願い下げだ。

平均寿命を延ばすことには貢献したとしても、現実には何の得るところも無いからである。

私の走っている山は、標高264mの丘陵で、凹凸の激しい尾根道である。Img_3403

70歳を過ぎて流石に体への負担も大きくなったが、それでも月間300k 以上は走っている。

大苦労して何故鍛えているのかと考えないでもないが、そこは長年の習慣でもある。

各地のレースで同輩や後輩に遅れまじの気持も大きいが、最大の理由はピンピンコロリである。Img_3404

生きている内は精一杯身体を動かして、いざとなったらコロリと行きたいのである。

もっとも私の場合、それはずっと先のことのような気がする(?)が、それまでは走り続けるのだ。

 

 

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2019年6月20日 (木)

俺は呆けんぞ!!

やがて高齢者の五人に一人は認知症になるんだとか・・・挙げ句、徘徊で数万人が行方不明だとも。

それで政府は、認知症対策大綱なるものを策定し、「認知症でも暮らしやすい社会」を目指すそうな。Img_3187

認知症になるのは、運動不足、生活習慣病、それに社会的孤立が大きく関わっているとされる。

だからそこにメスを入れるというのだが、いずれも本人の意識次第なんじゃ無かろうか。Img_3188

そもそも認知症がこんなに問題になるのは、私達が甘利にも長生きするようになったからだ。

私の子供の頃にゃ呆け老人なんて殆ど居なかったし、それはボケる前に皆死んじまったからだろう。Img_3193

然るに昨今、医療・栄養・娯楽の恩恵を受けてやたら長命になり、呆け老人が世に溢れるようになった。

悪口を言うなら、枯れぞこない、朽ちぞこないって事になるが、要するに自然に老いることが出来ないのだ。Img_3399

現実にこの私も、一昔前の(70過ぎの)老人なら、自然に肉体が衰え、欲望・情念全て萎え、朽ち木のように倒れるのが常だった。

然るに五感が衰えるどころか、いまだに100kマラソンを走るし、この世への未練も愛着もしっかりとある。

望むらくは恋などもしてみたいとさえ思うのだが・・・・、これは相手あっての物種で、夢想の世界だ。

考えてみれば政府も大変なもので、こんな輩に年金を支給し、認知の心配までせにゃならんのだから。Img_3400

ともあれ私は呆ける前に(既に呆けてると指摘する人もいるが)、せっせと死にたいと思っている。

まぁ~、その前に精一杯楽しませて貰おうと思っている訳だ。

 

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2019年6月19日 (水)

人生の満足

「老後に二千万円必要とは、何たることか」と大騒ぎしている。

(議員先生が)真剣に人生論を戦わすのならともかく、税金を単なる揚げ足取りに費やしている。

90歳までの人生をどのように充実させるのか、このパターンならどのくらいの資力が必要ってんなら分かる。

そもそも人生の満足度なんて、人によって全く違うのである。

多くの人は自分の(能力や努力)問題は度外視して、なんと無く不満感を持って生活している。Img_3373

富の偏在だの政治の怠慢、孤独感や将来への不安など、自分だけが恵まれていないってな意識だ。

私の場合は既に人生の大半を費消しているのだが、はて我が人生は満足できるのかどうか?Img_3374

つらつら考えてみても、これはかなり難しい。

もっと勉強してたら、あの時あんな事しなきゃ良かったのに、あれは偶然ラッキーだった・・・・Img_3375

などと、まあ~糾える縄の如く幸不幸が積み重なっているし、この程度で満足すべし(しょうが無いか)って気持もある。

仮に蓄財があれば何が出来るだろうかと考えても、もはやさしたる妙案は浮かばないのである。Img_3377

それに後代に美田を残すなんてのは大富豪の話で、我々庶民の考えることではなかろう。

人生、上を見ればキリが無いし、下を見ても(飢餓や戦争、難民など)際限が無い。Img_3378

「満足できる人生」って、果たしてどんなものか考えても、それは「心」の問題(考え方)になってしまう。

食べきれないほど食べたからって、満足できる訳でも無いのだ。

 

 

 

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2019年6月18日 (火)

あるがままに

人が生きるとは、食べ、呼吸し、語り、その自分の周りの環境を自分の体に取り入れることだという。

だから、何を食べどんな空気の中で過ごすかによって、オオカミ少年じゃ無いけど、環境次第で自ずと環境にそくした人になる。

私も田んぼに囲まれた田舎でおっとりと育ち、成人して世間に出て少しは垢抜けたが、地は変わらないままだ。Img_3379

内気で社交下手で、そのくせ自尊心だけは人並みにあって、何時も何かを考えている。

それで昔(若い頃)は、自分がどう見られているのかが極度に気になって仕方なかった。Img_3380

言うならば自意識過剰って事だろうが、そんな精神とも遠ざかって、今では「俺は俺だ」で通すようになった。

とは言っても、神さんの前だけは小さくなって過ごしているが、外ではあるがままに振る舞っている。Img_3382

今更飾り立てることも無いし、それに何の野心も無い訳で、開き直っちゃったんだな。

そう言う意味で、歳を取るって事は成る程良いことだと思って見ている。

かてて加えて嫌いなことはせずに、好き勝手に生きられるのだから、年金が少ないなんて文句は言ってられない。Img_3383

そして今、この田舎に生まれ、田舎に骨を埋めることになるだろう事を、「良かったなぁ」と思っている。

先祖代々耕してきた土地で、その上を毎日歩き回っていることを、天恵だと思えるからだ。

毎日する(働く)ことがあって、しかもここは爺さんのそのまた爺さん達が生きた所なんだ。Img_3385

この土地にしっかりと足を踏ん張って、そのことの意味をかみしめながら生きたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年6月17日 (月)

こうやって老いていく

朝は四時過ぎに起きて動き出すから、日の出の早い今頃は有り難いなぁと思う。

と言っても、新聞を読んだり、インゲンやキュウリの収穫、ぶどう棚の見回りをする程度で、

この早朝の時間を使って、殊更何かをする訳でも無い。Img_3386

「何時までに、〇❌をしなければならない」という切迫感から遠ざかって、もう随分になる。

心安らぐ日々と言えば聞こえは良いが、呑気な隠居の生活とはそうしたものだろう。Img_3387

しかしながら、いまだに「これで良いのか?」という忸怩たる思いがある。

40年近く仕事をしてきたんだからそれで良かろうってのが一般的だが、振り返っても何を為し得たというでも無い。Img_3389

それは色々とあったが、極論するとそれは過ぎ去ってしまった時間に過ぎないのである。

過去は過去、肝心なのはこれからで、或いは(些細ではあっても)もうひと花咲かせることは出来ないか。Img_3391

それが社会貢献なのか、仕事?、趣味或いは老いらくの恋・・・それはもう何でも良いと思う。

一方で私の畑仕事は手抜きばかりで、今年のブドウの不作は「手が回りかねる」事が原因だと思っている。

ともあれ私は休むこと無く動き回っているのだが、或いはそれは老いへの焦りなのかも知れない。Img_3392

「90歳までに二千万円不足」それは単に生き方の問題でしょ。

追及する野党も阿呆(老後の事なんて、誰だって考えてらぁ)なら、取り下げようとする与党もだらしないこと極まりない。

そんなことより、歳を取っても生き生きと活躍できる仕組み作りこそ肝心なんじゃ無いの。Img_3395

俺なんか、全てをリタイアしたら、郵便は年金の通知しか届かないもんね。

このまんま、世の中から忘れ去られて、あの世へと旅立つのかなぁ~。

 

 

 

 

 

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2019年6月16日 (日)

我が心象風景

初成りのスイカとトマトが、あの悪戯ガラスにやられた。

子供達の植えたラッカセイを引っこ抜き、種ショウガすらも掘り返してしまったあいつの仕業だ。Img_3398

私のささやかな農園と言えども、毎日が雑草や害虫・害鳥獣との闘いなのである。

雑草と言う名の草は無いが、最悪の雑草はコウブシとスギナだ。Img_3397

こいつらの根源は地中深くにあるから、地表面の除草では歯が立たないのである。

キュウリやスイカの最大の害虫はウリハムシで、こいつらを絶滅させるために毎日朝昼晩捕殺を繰り返した。Img_3372

流石に奴らもここに来れば殺されると恐れたのか、今月に入って彼らの姿は無くなった。

先日来ブドウの色付きが始まっているのだが、良く見ると既に雀の試食跡が幾つもある。

何年か前に私が捕まえた雀を細君が解き放ったあの雀の片割れに違いないのだが、この対策が喫緊となったのである。Img_3366

それで今日は、ほぼ半日掛けて一房毎に彼らの目に触れないように覆いを掛けたのである。

いずれハクビシンやら狸がやってくるのだが(好きなだけ食べさせるしか無い)、当面の敵は「カラス」と「雀」だ。Img_3367

近年しきりに言われるのが自然保護・共生だが、産業活動の意図的廃棄は兎も角、現実はきれい事を言ってられない。

雑草や病原菌・害鳥獣、雑人(最近はこれが増えている?)と戦うのが、私達の日々なんだろうと思う。Img_3370

もう70をも過ぎる(歳を経る)と、殊更無理な付き合いなどする必要も無いし、それは細君とて同じだ。

適度な間合いで、お互いに人生を楽しめば良かろうと思っている。

まぁ~、それにしてもあのにっくきカラスとは、如何にして決着を付けようか?

 

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2019年6月15日 (土)

嵐にもめげず

梅雨前線上の低気圧が発達、雨交じりの強風の吹く一日になった。

一日中嵐かと思いきや、それでも雨間があって、その間をすり抜けるように走った気がする。Img_3368

今日は私の気に入っている「シラス丼マラニック」で、磐田中心部界隈のチョット良いとこを巡って、

福田漁港の渚交流館で取れたてのシラスを頂こうと言う趣旨のマラニックだ。Img_3369

それで、この太田川河口に向かう途中に我が家があるから、「どうぞ、お寄りください」と言わない訳には行かない。

この嵐の中のエイドは、当然ながらぶどう棚の下しかないので、暫しの雨宿りを兼ねてのエイドになった。Img_3371

ともあれ磐田駅の大楠の下に集まったのは20人、風に飛ばされそうになりながら北に向かう。

先ず立ち寄ったのが遠州国分寺(飛鳥時代の政庁)跡、紀元700年の頃にはここに七重の塔が聳えていたそうな。Img_3376

更に北上して見付宿の西木戸の脇にある西光寺に、ここは二代将軍秀忠の妹(和子)が後水野尾天皇の元に嫁ぐ折、

立ち寄って何故か持念仏を納めていった凪の木とともに、恋のパワースポットとされているところだ。Img_3381

次は東に向かって、明治8年に民間の力で建てられた(尋常)小学校に立ち寄る。

ここには三方原合戦の折、敗走した家康軍を救ったとされる「酒井の太鼓」が残されている。Img_3384

名残は尽きないが、更に東進して大見寺に、ここは家光の茶屋御殿が在った所でもあるが、目的は鳥人幸吉である。

ライト兄弟よりも遙かに早く、空を飛んだ技術開発のパイオニアだが、彼は晩年を見附で過ごしこの寺に葬られたのだ。Img_3388

その飛翔体の1/2の模型を見せて戴き、人間の面白さみたいなものを少し感じさせて貰った。

その次は霊犬悉平太郎の伝説が残る天神宮へ、見付け裸祭の勇壮さを皆さんに見て貰いたいと思った。Img_3390

さても天神宮から南下して我が家に向かう頃には雨が降り始め、ぶどう棚の下は暫しの雨宿りになった。

しかし幸か不幸か、ブドウは未だ未熟で、ランナーの群れには襲われずに済んだのである。Img_3393

渚の交流館では、打ちつける高波の波頭を見ながら、私は海鮮丼を戴いた。Img_3394

残りの時間は豊田のスーパー銭湯まで走るのだが、強風に耐えて、15:30には湯に浸かることが出来た。Img_3396

何だか、今日はチョット疲れたかなぁ。

 

 

 

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2019年6月14日 (金)

性は生なり・・だって

今朝は山の中を走っていて、走る仲間のKさんと出会った。

Kさんは何時も早朝から走っていて、私が走り始める9時頃には、もう引き上げてくるのである。Img_3194

「何で何時もそんなに早いの?」と聞くと嬉しいことに「やることが一杯在るから・・」と答えるじゃないか。

走り終わって帰宅し、午前中は農作業、午後はジムに行かなきゃならないという。Img_3203

ジムでは、泳いだり筋トレしたりしながらゆったり過ごすらしい。

そして、年に20回以上はラウンド(ゴルフ)するし、週に一度はハングライダーで空を飛んでいると言う。Img_3204

御年65歳でまだまだ若いが、もうすっかり(老年?の)日々を謳歌しているではないか。

昨日マイルールを書いたばかりだが、人それぞれに人生の日々と向き合っているのである。Img_3235

ところで、人が生き生きとした日々を送りたかったら、カキクケコを心がけることらしい。

カは感動することで、もう身を震わせて心身共に感動すること。キは、何にでも興味(好奇心)を持つこと。Img_3257

クは創意工夫、ケは健康で、つまり闊達に動き回れって事かな。

それでコは何かというと、恋をしなきゃいけないという。

カキクケまでは我が意を得たりだが、この恋となるとそれは相手が要る訳で、

果たしてこのヒヒジジイに関心を持ってくれる才女がいるのかどうか。

(ヒヒは、よく真っ赤に立ったオチンチンを人前にさらす・・・それでエロジジイと同意)Img_3263

ともあれ人間の性と言うものは、生きるためのマグマなんだって。

性に関心を無くしたら人は見えて老い始めると、大脳生理学者の大島清さんが言っている。

性は生なりか・・・果たして、これを如何にせん。

 

 

 

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2019年6月13日 (木)

マイルール

古稀を過ぎた(定職を持たない)同輩諸氏は、毎日何をして過ごしておられるだろうか?

私の一日は大雑把にランニングと農作業で成り立っているが、それにしても時間は実にタップリとある。Img_3271

一つの作業が終わると、フッと、はて次は何をしようかと思案することがある。

農作業とて年がら年中忙しい何てことは無く、(何かしらあるにしても)時には農閑期みたいな時もあるのだ。Img_3322

そんな所在の無いとき、好きでも無いのに「酒でも飲むか!」って誘惑に駆られる。

しかし、どこぞには昼間から酒浸りでアル中になった人も居るらしく、私は五時過ぎまでは酒に手を出さないことにしている。Img_3324

振り返るまでも無いが有職時代は、兎に角(仕事)時間に追われていて、家に帰ればバタンキューが常だった。

仕事や職場のルールにタップリと浸かっていたし、家庭内だって今とは居場所が違った。Img_3325

どかぁ~っと家に居座るようになった今日、郵便物も来なくなったし、過ごす場所だって様変わりだ。

歳と共に自然の成り行きなんだろうが、うらぶれた年寄りのようでどうにも面白くない。Img_3327

それで自分なりのルールを設けていて、まぁ~(5時過ぎの酒同様)それなりの規範になっている。

それは何かって・・・大小とり混ぜて色々あるんだが、中心は週に一度の遠征かな。

このブログを書くことや、月間300k以上走ること、毎朝20回以上「お早うございます」って言うことも入っている。Img_3332

要するに年寄り(俺)の生活を律するのは、マイルールってことだ。

タップリの時間に身を委ねっちまうと、もう・・人間終わっちゃうからね。

 

 

 

 

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2019年6月12日 (水)

命なりけり

多少の波風はあったとしても、平々凡々と毎日が過ぎ去っていく。

それがもどかしいのだが、さりとて為す術も無いのが古稀を過ぎたお爺なのである。Img_3228

多分誰もそうだと思うが、人は明日死ぬ何て考えないし、もしかしたら自分は永遠に生きると思っている。

まぁ~、考えていたとしても、漠然と平穏無事で天寿を全うするだろうってことくらいだろう。Img_3230_1

だけど呆けの確率はかなり高いし、突然の暴走事故なんてのも、必ずしも他人事じゃ無くなった。

とは言えそれも他人事で、自分はそんなことは無いと信じ切って毎日暮らしている。Img_3236

年金以外に二千万円も必要だって???・・・あれは90歳まで生きた場合のこと、俺にゃ関係無いってな具合だ。

人生は楽観するに越したことは無い訳で、「明日死ぬんじゃ無いか」などと悲観してたら間違いなく癌になって死んじまう。Img_3253

 「年長けて また越ゆべしと 思いきや 命なりけり さやの中山」

西行法師が小夜の中山を再び通った折の歌だが、(彼が何歳だったか?)「命なりけり」とは命あってのことと言うことである。Img_3265_1

老年の感慨と言ってしまえば簡単だが、そんな命を愛おしむ気持が分かる年代になっている。

私が毎週のように出かけている走る会だって、「また走るべしと 思いきや」なのである。

殊更命を愛おしむには未だ早いが、人生ってもんは中々にして味わい深い物である。Img_3363_1

ともあれ、向後において何をするにしても「命なりけり」なのである。

 

 

 

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2019年6月11日 (火)

「時の印」について

突然などと言うことは無いはずなのに、自分が古稀(70歳)になって「えぇ~そんな筈は無かろう」と驚いた。

自分はもっとずっと若く、まだまだ何でも出来る体力を残しているのにと言う思いだった。Img_3349

しかし物理的には、時は絶え間なく進んでいて、自身の過去はそれだれ重くなり、未来は短くなる道理だ。

それを思った刹那、「そうだ、今出来ること(後じゃ出来ないこと)をやっておこう」と考えた。Img_3350

それがサハラ砂漠250kを走ることだったし、その必死に時を追う姿をノーベルと言う形で表現することだった。

その時思ったのは、人生の時間って(長いのか短いのか)何だろうって事だった。Img_3353

70年自体が既に(人生50年を思えば)随分と長いし、単なる生物としても(子孫を育て終えて)既に終わっているのである。

なお生きる価値があるとすれば、それは何だろうかとノーベルを書きながら考えた。Img_3357

世のため人のために価値ある貢献をすることさ、・・とそう言うことは簡単だが、さて具体化は中々難しい。

あれこれ思っている内に時は過ぎ、やがて諦めと共に命脈が尽きるのが人では無かろうか。Img_3360_1

ならばそれに逆らって自ら行動し、自分の生きた時間という物を物語として残したらどうかと思ったのである。

勇んで書き始めたノーベルだが、あの覚悟して臨んだ砂漠レースから帰ると、一気にその熱意が失われた。

気負い過ぎた末の燃え尽き症候群だが、・・・一方で「俺の人生まだまだ長いぜ」って思ったのも事実だ。

ともあれ「時の印」はこのブログで完結させた(2018年4月24日~5月7日、2019年2月28日~3月10日)。Img_3361_1 Img_3361_1

しかしながら、人生をどう終わらせれば良いのかと同様に、時を終わらせるのは容易ではなく、

読まれた方からは「何だか、尻切れトンボだね」と言われた。

このノーベルをどう終わらせるかは随分悩んだが、或いはこれは自分自身の永遠の課題かも知れないと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年6月10日 (月)

人も熟して

今日も正に梅雨空の一日で、青梅も既にしっかりと熟梅になっている。

今収穫しなければ落果して使い物にならない訳で、梅の実の賞味期限が来ているとも言える。Img_3341

果物や野菜は元より、物事にも賞味期限らしき物がある。

過熟な果物は食べられないし、野菜だって硬化したりして決して旨くはない。Img_3342

物事にも自ずと新鮮さが必要で、倦むほどの出来事は辟易とされるのが常だ。

昨日は、智満寺の7本杉を畏怖の念を持って見上げたのだが、生き物には賞味期限はない。Img_3344

唯あるのは、賞味する価値があるのかどうか、・・と言う中身の問題だけだ。

特に人間の場合は、仮に幾多の経験を積み重ねてきたとしても、熟さない人は熟さない。Img_3346

私なども、貧しい時代を経て今日に到ったとは言え、自分自身熟したと言う気配すらない。Img_3347

若い頃と同じように生臭く生きているし、自分で枯れようなどとは思った事も無い。

只管今を生きたいと思うのだが、それすらままならない。Img_3348

ブドウの様に果物ならば熟期が来て収穫となるのだが、人間の熟期はハテ何時なのだろうか。

多分、それは永遠の課題なのだろうと思い始めている。

 

 

 

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2019年6月 9日 (日)

風雪に耐えて

智満寺の十本杉(現在は7本)の圧倒的な存在感を前にすると、長く立派に生きることは大変なことだと思う。

樹齢は恐らく先年に近いだろうし、何故彼らだけが残ったのかも知られていない。Img_3345

その智満寺の裏山に登って驚いたのは、昨年と景色が一変していたことである。

杉の大木が大量に倒れて道を塞ぎ、私達は迂回路を登ったのである。Img_3351

昨年の台風によるものらしく、直径1mくらいの大木がいとも簡単に倒されていた。Img_3352

その中で傲然と聳えてビクともしなかったのが、7本の巨木である。

それは千年も生きている間には、巨大な台風だって幾たびも襲っただろうし、様々な風雪を経ている筈だ。Img_3354

今日は、そんな納得というか、自然の生業を感じて帰ってきたのである。

今朝、島田駅に集まったのは8人で、小雨模様の中を智満寺に向けて走り始めていた。Img_3355

数キロ北に進むと丁仏山道に入るのだが、この智満寺まで一丁(100m)毎にお地蔵さんが鎮座している。

そのキチンと手入れの行き届いたお地蔵さんを横目に走り、もうその入り口からして霊験を感じさせるお寺に入る。Img_3356

頼朝も帰依したと言うから随分古い訳だが、現在の社殿は家康の寄進と伝えられている。

ともあれ、その智満寺から150mほど登ったところに、風雪に耐えた巨大杉が聳えている。Img_3358

私達は、そこからどうだん平らに出て、更に南の柏原へ、これを下って新東名沿いに高倉山へ。Img_3359

今日のゴールである伊多和利の湯には14;40に到着した。Img_3362

かなり疲れたが、湯に浸かって懇親会の頃にはすっかり元気になっていた。

やはり、雷杉や大杉に元気を貰っていたのである。Img_3365

 

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2019年6月 8日 (土)

令和への思い

令和に改元されて一ヶ月余、皆さんは新しい時代をどんな気持で迎えただろうか。

以前も書いたが令和は、大伴旅人が太宰府で開いた「梅花の宴」から生まれた「初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披く

蘭は珮後(はいご)の香をくゆらす」から採られたとされている。Img_3330

令は深窓の令嬢などと使われたりして、本来麗しいとか香しい意味だし、真ん丸な和は言うまでも無かろう。

当然ながら時代を創るのは私達だし、験担ぎだけでは駄目だが、お互いに令月を目指したいと思う。Img_3333

ところで昨夜は久々の「メダカの学校」で、そのテーマが令和だったのである。

それで校長のSAさんを含め4人の先生が、令和についてそれぞれ語ったのである。Img_3334

始まったばかりの令和について、どんな話が飛び出すのかと、幾ばくかの野次馬根性で伺っていた。

冒頭の校長(SAさん)訓話は、色彩プロジューサーとしての経験を元に、黄櫨染(こうろぜん)を引き合いに、Img_3335

その色彩の意味と古き良き時代から続く伝統の重みについてであった。

続いて登壇した某新聞社のHさんは、令和の号外を例に新しい時代への報道について講話した。

続いて万葉が専門のYさんの講義は格調が高く、万葉集の万民から集められた4516首、その中から「令和」が生まれたことをとても喜んでいた。Img_3336

Yさんの講義で印象的だったのは「言霊」で、私達の大和言葉には命が宿っていると言う。

万葉は勿論のこと、母音である「あ」には開く意味が、「い」は伸びる、「う」には閉じる、「え」にはつなげる意味が、

そして「お」には偉大な意味が込められているという。Img_3338

Yさんの結論は、令和を機に大和言葉を学び、この国の伝統文化を大切にしようと言うことだった。

最後の草笛さんの講義は圧巻で、あまり口を開かずに画布を持ち出して、暫し黙念の後鳳凰を描き出した。Img_3339

元よりこのメダカの学校には多種多彩な特技を持った御仁が集まっているのだが、草笛さんの念力(?)には驚いた。

鳳凰の飛び立つ様が、この令和なのだと言うのだろう。Img_3340

ともあれ時代は5GやAIなどとドンドン変わっていくのだが、だからこそ「大和なるもの」を大切に育てるべきなのかも知れない。

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2019年6月 7日 (金)

季節の移ろいに

このところ、毎朝新聞を読み終わると一番に畑を巡回する習いになっている。

畑ではインゲンとキュウリを収穫し、その足でブドウの部屋を一回りする。Img_3283

摘粒忘れはないか、無駄な枝が伸びてやしないかと見て歩くのである。

そんな朝の楽しみの一時、デラウエアの部屋に入って、おぉーと季節を納得したのである。Img_3246

まだ数房だが、(黄緑から紫へと)着色が始まっていたのである。

大粒種の色つきは未だずっと先だが、乙女が恥じらいながら頬を染めるような、この仄かに色づく瞬間が好ましい。Img_3209

今年も、どんどん季節が進んでいるのである。

小学校の子供達を見送って、(午前中は大丈夫と)雨を気にしながらもやはり山に向かった。

が、思ったより雨の方が早く、早々に引き上げると、今日から梅雨入りだそうで、雨脚は一気に本降りになった。Img_3208

昨日は「梅の日」で梅が実る頃の「梅雨」とは、成る程なぁ~と思わされる。

実際の梅雨の語源は黴(バイ)雨らしく、物がみんな黴びるジメジメした頃程の意味らしい。

ともあれ喜んでいるのは畑の作物で、先日蒔いた夏大根などは晴天続きで日干しになっていたから、大助かりだ。Img_3207

勿論雨を期待して、昨日のうちに人参や大根の補蒔きをしておいたし、根深葱の苗も大きくなるだろう。

こちらが月日の流れの速さにたじろいでいる間に、彼らは確実に季節の移ろいを実にしている。

 

 

 

 

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2019年6月 6日 (木)

狐の持ち物

今はそうでも無いと思うが、私自身かなり見栄っ張りな生き方をしてきた。

格好を付けて知的に振る舞ったり、知りもしないことを知ったかぶりしたり、相手の話に調子を合わせたり、

その意識は(お粗末な)自分の自尊心を傷つけられたくないってことだったと思う。Img_3169

殊に男は、自分が気のある女性の前では格好を付けたがる・・・アレと同じだ。

表面を飾るってことは、その実自分の中身が空虚だってことに気づいている訳だ。Img_3170

就職して10年くらいは、周りの皆がすごく知的で立派に思われた。

負けちゃいけないってんで、本を読んだり必死で努力もしたけれど、まぁ~人間なんて五十歩百歩だね。Img_3174

今になってみれば、地位も名誉も財産も程ほど(に寡少)で、頭だって人並みに呆けも始まっている。

勿論白髪も顔の皺も同様で、紅顔の美(?)青年を演じていた頃が正に漫画のようですらある。Img_3179

その孤独な馬鹿を演じてきた自分を、褒めこそしないが、やっぱり精一杯だったよねと慰めている。

宮沢賢治の短編小説「土神と狐」は、樺の木(擬人化した女性)を間にした狐と土神の三角関係の話だ。Img_3183

狐は樺の前でひたすら知的で富裕な生活を演出するのだが、地味な土神はその狐に嫉妬する。

やがてカッとなった土神は狐を殺してしまうのだが、その狐の住まいを訪ねて愕然とする。

赤土が固められたその住処はがらんどうで、そこには「カモガヤの穂」と「ハイネの詩集」があるだけだった。Img_3184

土神は狐の孤独な虚無感に気付いて涙する・・・・私達にも、こんな場面一杯あったよね。

それに嫉妬したりされたり、それが世の中の物事を動かしていたりもするんだ。

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2019年6月 5日 (水)

日々何を思わん

祖母は父の学生の頃みまかっているし、祖父は私が二歳の頃亡くなっている。

従って年寄りの生態と言う物に馴染みがないし、何を考えてその人生の最終盤を送ったのか分からない。Img_3310

父は、議員に次いで町の老人会長などを辞めると、程なくやや認知気味になり数年でなくなった。

母は93歳になるが顕在(元気)で、毎日自分の出来る仕事を探している。Img_3313

ところで肝心の私だが、大部分は畑で過ごしていて、ブドウや野菜の世話をしている。

そして考えることと言えば、週末の予定くらいの物で、昔と違って先々のことを考えなくなっている。Img_3315

そう・・刹那というか、当面この先の半年くらいのことを考えながら生きているって感じだ。

子供や孫達は勝手に自分の人生を生きるだろうし、お爺がとやかく言えば角が立つ、むろん棹挿したって始まらない。Img_3316

さてこそ世の中のお爺は、何を考えて生きているのだろうか?

幸いにして我が家には引き籠りの暴力息子は居ないし、(結婚しない娘は諦めている)当面の課題はない。Img_3317

それはもう天下国家を論ずれば際限はないが、それはもはや息子達の仕事だろう。

かつて老人は追憶に時を過ごすとされていたが、私の場合は過去は過去と割り切っていて思い出すことすらない。Img_3319

而して同窓会やかつての職場の集いも、さして面白いと思ったことはない。

それよりも今を生きたいし、望むらくは未来をこそ生きたいものだと思っている。Img_3320

歳を重ねればその分だけ思い出の領域は広がるはずだが、私の場合はその質が年々味わい深くなっている。

残り少ない思い出を大切にしたいと思うようになっているのかも知れない。Img_3326

年々歳々同じような繰り返しかも知れないが、何かその中に自分の生きた証を見いだしたいと思っている。

このブログを読んで下さっているあなた、あなたは毎日何を考えているでしょうか?

 

 

 

 

 

 

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2019年6月 4日 (火)

下り坂を思う

山登りの際「ホントにこんな急な坂を登るのか」と思うことがある。

それが富士山であれ北岳であれ、一歩一歩登っていく内に、何時の間にか頂上に到ってしまうである。Img_3299_1

息を切らせ汗をかきながらもコツコツと登坂するのは大好きで、山頂での達成感というか開放感は登山の醍醐味だ。

ところが登頂を果たして下りに入ると、「こんなに嶮しい所をよくぞ登った」と思いつつ、その下りの辛さを味わうことになる。Img_3303

それは汗はかかないかも知れないが、足への負担は登りよりも遙かにキツく、つま先を痛めるのも下山時だ。

殊に若い頃は足をハの字に開いて飛ぶように降りることも出来たが、足腰のバネの弱くなった今日、むしろ下りの方が苦労するようになった。Img_3305

やはり榛名山の下りでも左様で、今朝まではかなり足の痛みを感じていた。

ところで今日の本題は人生の下り坂である。Img_3306

私の幼少時代から青春期は昭和で、その壮年期がバブル崩壊以降の平成、そして下り坂に当たる老年期を令和に生きることになった。

戦後の昭和は経済の急拡大する中だったから、私も時代にあおられて駆け足で登り切っていた。Img_3307

平成に入ると山頂近くの凸凹が長く続き、災害も含め経済の跛行も続いたがそれも乗り切ってきた。

そして古稀を迎えた途端、私は否応なく下り坂を意識せざるを得なくなったのである。Img_3308

砂漠への挑戦なども含め、あれこれとあがらってはみたものの、所詮下り坂を変えることは出来なかった。

つまり、何時まで続くのかは兎も角、これまで登ってきた遙かなる道程を下っていかねばならないのである。Img_3309

登り坂で見落とした花などを愛でながらとも思うのだが、はて・・足腰は大丈夫だろうか。

それに心配なのは、下山した後には温泉が待っているのだろうかと言うことである。

 

 

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2019年6月 3日 (月)

湖畔にて

琵琶湖や諏訪湖、はたまた榛名湖のような火口湖やダム湖など、この国にも多くの湖がある。

箱根(神奈川県)の芦ノ湖の水は、静岡県で利水しているし、湖には色々な物語がある。Img_3293

この3月に参加したニュージのグレイトレースでは、氷河湖の美しさに魅了された。

ニュージランドの多くの町は、氷河の削ったカールの下、そこに出来た湖の湖畔にある。Img_3294

氷河を戴いた山々とその下の湖の周りに広がる町の佇まいに、そう・・・アニメ映画の映像を感じてしまった。

モンスーンのこの国ではあまり意識されないが、水と人々の生活とは切っても切れない関係にあるのだ。Img_3295

それはさておき、榛名湖の静かな湖畔を思い出している。

言うまでも無く榛名湖は、箱根の芦ノ湖同様に外輪山に囲まれた火口湖である。Img_3296

外周は5~6k程だろうが、芦ノ湖との違いは(年代の違いでか)外輪山が穏やかな姿だと言うことだろう。

溶岩ドームだった榛名富士にしても、誠に穏やかな(童話の風景の様な)山容に見える。Img_3297

大正ロマンの代表でもある竹久夢二は、独特のなよなよした女性を描いたが、榛名山賦や青山河など榛名山を借景にした作品を残している。

成る程榛名湖一帯の風景は、一種独特の人の一生を思わせるような風情があるのである。Img_3298

湖面では朝早くからマス釣りのボートが出て、山はカメラを抱えた登山者で賑わう。Img_3301

それに暴走族のメッカらしく、幾つものヘアピンカーブを高速で登って来る。Img_3302

その騒音を除けば、歌謡「湖畔の宿」のごとく一種哀愁を帯びた湖畔なのである。Img_3304

 

 

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2019年6月 2日 (日)

榛名山へ

今朝は未だ暗いうち、火口の中央付近で目が覚めた。

昨夜遅く、榛名湖畔(1048m)の駐車場に着いて車中泊し、登山客のガヤガヤとした声で目覚めたのである。Img_3312

薄く霧の掛かった湖畔には新緑の中に山ツツジが咲き乱れ、その湖面は鏡のように静だった。

榛名湖は火口中央に出来たカルデラ湖で、中央の榛名富士(1390m)を真ん中に、烏帽子岳(1363m)、鬢串岳(1350m)、Img_3311

掃部ヶ岳(1440m)などの峰峰がぐるりと取り巻いている。

榛名山の活動の歴史は古く、ほぼ5万年前には今日に近い形になったようだ。Img_3314

大正期から昭和の初めに掛けて、竹下夢二が活動の拠点としたことでも知られ、流石に美しいところだ。

あぁそれに、あの高峯秀子の歌った「湖畔の宿」の生まれたところでもあるようだ。Img_3318

美しいけれども何故か寂しく切なげな風情とでも言おうか、この榛名湖周辺一帯は群馬県立公園になっている。

私達は先ずはその榛名富士に登った(実際の登山は350mほど)のだが、その自然林(人工の植林がない)の良さに酔っていた。

40分ほどで山頂極めたが、眼下の榛名湖は霧でさっぱり見えなかった。Img_3321

一端下山して、今度は平安時代の烏帽子の様に急な形をした烏帽子岳から縦走に取りかかったのである。

烏帽子岳から鬢櫛山、そして掃部ヶ岳(カモンヶ岳)へ、午前8時に登りはじめて、下山は14時だった。Img_3323

近くには伊香保温泉があるが、今回は榛名湖畔の温泉にゆっくり浸かって疲れを癒やし、と言うよりも榛名を味わいつつ湯に浸かった。

この遠州からは、確かに遠いには遠いが、今では高速道路を辿れば指したる事は無い。Img_3328

・・ってことで、帰宅したのが22時過ぎで、今夜はブログが遅くなった次第。

 

 

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2019年6月 1日 (土)

小さな節目

我が人生は何時まで続くのか分からないが、後半の半ば過ぎをうろついているのだろう。

思うのは、前半の人生には次々と幾つもの節目があったなぁと言うことである。Img_3180

学校の進学は言うに及ばず、成人式や就職、結婚・出産・育児、それに昇進もあった。

言うならば節目の連続で、何時もその度に驚きや発見・緊張があって、およそ飽く事が無かった。Img_3171

しかしどうだろうか、後半に入った途端に節目はなくなって、だらだらとした下り坂が続くだけだ。

古稀だの喜寿・米寿があると言っても、それは単なる中身のない通過点に過ぎない。Img_3172

それは孫達の成長は励みになるが、世の中の動き同様に、当事者と言うより傍観的であるのは否めない。

そうして下り坂の「老い」を踏みしめて進む先には、どんな節目があるというのだろうか。Img_3175

どうも・・・なんだかんだと言いながら、日々を消化していく実に地味な仕事だとも思えてくる。Img_3178

そうさせないためには、人生後半の営みに節目を自分で創ることではなかろうか。

一年に一度は海外旅行するとか、老いらくの恋に身を焦がす(?)なんてのもある。Img_3181

ともあれ、明日は早朝から榛名富士を初めとした榛名山に登る。Img_3255

定期的に山に登るのも、これ私にとっては小さな節目とも言える。

 

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