所詮夫婦も・・
夫婦関係の愚痴を聞く(私のは愚痴じゃない)事が多くなった。
その原因の多くが、亭主が退職してドテッと居間に居座っている、それがイライラするらしいのだ。
「亭主元気で留守が良い」と言われるが、長寿高齢化でその反対の現象が増えているからだ。
かつては紅顔の美青年だったかも知れないが、今ではウスラ禿で中年太り、それが相も変わらず威張っている。
その何ともヤル気の無い亭主の行動が、気に障ってしょうがないと言うのである。
歳を取るのはお互い様だけど、男の場合は退職によって機能不全に陥る人が多い。
それでも昔の女性は、耐え難きを耐え忍び難きを忍んだものだが、今の時代そんな奇特な女性はいないのである。
今時、我慢し耐えることは美徳でも何でも無くなったのである。
しかるに男の頭は依然として旧態依然、何で女房殿が毎日イライラしているのか、まったく分かっていないのである。
否、我が家はさにあらずと言っているのでは無い、我が家はそれぞれが自立しているのである。
私も最愛の細君も、日中(特に週末)は家に居たことが無いし、それに会話(何か言っても、返事が無い)もしない。
私も基本的に当てにしていないし、夫婦とは言っても(少し寂しいが)所詮赤の他人なのである。
この時代、企業も社会もこぞって生産性・合理的が合い言葉であって、夫婦の情愛もかなりの合理化である。
つまり私も、細君の情緒的な合理化の対象になっている訳で、それはそれ「新生日本」を感嘆している。
それを軽薄と言うべきか、はたまた・・・・
今夜は、夜を徹して浜松駅から遠山郷までの91kを走るのだが、老いるとは何なのかを改めて考えてみたい。
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