令和への思い
令和に改元されて一ヶ月余、皆さんは新しい時代をどんな気持で迎えただろうか。
以前も書いたが令和は、大伴旅人が太宰府で開いた「梅花の宴」から生まれた「初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披く
蘭は珮後(はいご)の香をくゆらす」から採られたとされている。
令は深窓の令嬢などと使われたりして、本来麗しいとか香しい意味だし、真ん丸な和は言うまでも無かろう。
当然ながら時代を創るのは私達だし、験担ぎだけでは駄目だが、お互いに令月を目指したいと思う。
ところで昨夜は久々の「メダカの学校」で、そのテーマが令和だったのである。
それで校長のSAさんを含め4人の先生が、令和についてそれぞれ語ったのである。
始まったばかりの令和について、どんな話が飛び出すのかと、幾ばくかの野次馬根性で伺っていた。
冒頭の校長(SAさん)訓話は、色彩プロジューサーとしての経験を元に、黄櫨染(こうろぜん)を引き合いに、
その色彩の意味と古き良き時代から続く伝統の重みについてであった。
続いて登壇した某新聞社のHさんは、令和の号外を例に新しい時代への報道について講話した。
続いて万葉が専門のYさんの講義は格調が高く、万葉集の万民から集められた4516首、その中から「令和」が生まれたことをとても喜んでいた。
Yさんの講義で印象的だったのは「言霊」で、私達の大和言葉には命が宿っていると言う。
万葉は勿論のこと、母音である「あ」には開く意味が、「い」は伸びる、「う」には閉じる、「え」にはつなげる意味が、
Yさんの結論は、令和を機に大和言葉を学び、この国の伝統文化を大切にしようと言うことだった。
最後の草笛さんの講義は圧巻で、あまり口を開かずに画布を持ち出して、暫し黙念の後鳳凰を描き出した。
元よりこのメダカの学校には多種多彩な特技を持った御仁が集まっているのだが、草笛さんの念力(?)には驚いた。
ともあれ時代は5GやAIなどとドンドン変わっていくのだが、だからこそ「大和なるもの」を大切に育てるべきなのかも知れない。
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