« 富士山のほら穴 | トップページ | 人生の転機 »

2019年6月26日 (水)

しゃッ面晒して

手前(てめい)の面(つら)なんざ、見たくもねぇ・・・などと、随分昔の喧嘩では言い合ったような気がする。

そのペランメイ調の「しゃッ面」には、「いけしゃぁしゃぁ」ってなニュアンスがある。

皆が仲良く暮らす民主主義の時代だから、こんなヤクザ言葉はとっくの昔に死語になっている。Img_3426

齡70を過ぎてから、手前の顔を世間の皆さんに晒すことも少なくなった。

つまり恥の上塗りをするように、この顔をぶら下げてあちこち歩かなくても暮らしていけるのである。Img_3429

どんな顔をしていたって、必死で生きていたあの(若かりし)頃を、懐かしく思い出しているのである。

そうだなぁ・・・あの頃はずっと自分の顔に自信が持てなかった。

それでも、50歳を過ぎて立場も変わった頃、そう・・一頃は誇らしげな顔をしていたかも知れない。Img_3431

そうして今日、骨と皮のひしゃげた老人になったのだが、既に蛙の面にしょん便って顔になっている。

酸いも辛いも、何が来たってビクともしない(大抵の事にゃ驚かない)って顔かな?

そうして、「この面下げて、何時まで生きる」のかなぁ~などと考えている。Img_3435

既に恥などと言う言葉は消え失せたし、あのオドオドとした顔は遙か昔の顔になった。

確かにここに来るまでは色々とあったし、我ながら様々に顔を変えてきたのだと思う。Img_3437

しかし今日、この痩せて貧相な顔が何だか愛おしく、「よお~やってきたワイ」と眺めてみたりもする。

その顔は確かに遺伝的要素も多いが、自分の生きた過程の集積でもあるのだから。

 

 

 

 

|

« 富士山のほら穴 | トップページ | 人生の転機 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 富士山のほら穴 | トップページ | 人生の転機 »