« 「時の印」について | トップページ | マイルール »

2019年6月12日 (水)

命なりけり

多少の波風はあったとしても、平々凡々と毎日が過ぎ去っていく。

それがもどかしいのだが、さりとて為す術も無いのが古稀を過ぎたお爺なのである。Img_3228

多分誰もそうだと思うが、人は明日死ぬ何て考えないし、もしかしたら自分は永遠に生きると思っている。

まぁ~、考えていたとしても、漠然と平穏無事で天寿を全うするだろうってことくらいだろう。Img_3230_1

だけど呆けの確率はかなり高いし、突然の暴走事故なんてのも、必ずしも他人事じゃ無くなった。

とは言えそれも他人事で、自分はそんなことは無いと信じ切って毎日暮らしている。Img_3236

年金以外に二千万円も必要だって???・・・あれは90歳まで生きた場合のこと、俺にゃ関係無いってな具合だ。

人生は楽観するに越したことは無い訳で、「明日死ぬんじゃ無いか」などと悲観してたら間違いなく癌になって死んじまう。Img_3253

 「年長けて また越ゆべしと 思いきや 命なりけり さやの中山」

西行法師が小夜の中山を再び通った折の歌だが、(彼が何歳だったか?)「命なりけり」とは命あってのことと言うことである。Img_3265_1

老年の感慨と言ってしまえば簡単だが、そんな命を愛おしむ気持が分かる年代になっている。

私が毎週のように出かけている走る会だって、「また走るべしと 思いきや」なのである。

殊更命を愛おしむには未だ早いが、人生ってもんは中々にして味わい深い物である。Img_3363_1

ともあれ、向後において何をするにしても「命なりけり」なのである。

 

 

 

|

« 「時の印」について | トップページ | マイルール »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」ご存じのように豊臣秀吉の辞世の句とされています。この句は、既に達観しきった境地ですが、実際は秀頼のこともあって、さぞかし死にたくなかったのだろうと思います。乞食同然から太閤まで登り詰めた男にして、かくの如く。怖いとかどうとか言うのでは無く、やり残したことに未練が残るのでしょう。
 まぁ~、余計なことは心配せずに、前に向かってドンドン走りましょう。そう、思っています。
               山草人

投稿: 山草人 | 2019年6月13日 (木) 13時26分

兄貴そうですね!
やり残した事に無念感を受けるでしょう!
明日死ねる!生きかたをしたいな〜!

投稿: ひろ | 2019年6月14日 (金) 20時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「時の印」について | トップページ | マイルール »