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2019年6月11日 (火)

「時の印」について

突然などと言うことは無いはずなのに、自分が古稀(70歳)になって「えぇ~そんな筈は無かろう」と驚いた。

自分はもっとずっと若く、まだまだ何でも出来る体力を残しているのにと言う思いだった。Img_3349

しかし物理的には、時は絶え間なく進んでいて、自身の過去はそれだれ重くなり、未来は短くなる道理だ。

それを思った刹那、「そうだ、今出来ること(後じゃ出来ないこと)をやっておこう」と考えた。Img_3350

それがサハラ砂漠250kを走ることだったし、その必死に時を追う姿をノーベルと言う形で表現することだった。

その時思ったのは、人生の時間って(長いのか短いのか)何だろうって事だった。Img_3353

70年自体が既に(人生50年を思えば)随分と長いし、単なる生物としても(子孫を育て終えて)既に終わっているのである。

なお生きる価値があるとすれば、それは何だろうかとノーベルを書きながら考えた。Img_3357

世のため人のために価値ある貢献をすることさ、・・とそう言うことは簡単だが、さて具体化は中々難しい。

あれこれ思っている内に時は過ぎ、やがて諦めと共に命脈が尽きるのが人では無かろうか。Img_3360_1

ならばそれに逆らって自ら行動し、自分の生きた時間という物を物語として残したらどうかと思ったのである。

勇んで書き始めたノーベルだが、あの覚悟して臨んだ砂漠レースから帰ると、一気にその熱意が失われた。

気負い過ぎた末の燃え尽き症候群だが、・・・一方で「俺の人生まだまだ長いぜ」って思ったのも事実だ。

ともあれ「時の印」はこのブログで完結させた(2018年4月24日~5月7日、2019年2月28日~3月10日)。Img_3361_1 Img_3361_1

しかしながら、人生をどう終わらせれば良いのかと同様に、時を終わらせるのは容易ではなく、

読まれた方からは「何だか、尻切れトンボだね」と言われた。

このノーベルをどう終わらせるかは随分悩んだが、或いはこれは自分自身の永遠の課題かも知れないと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

兄貴、私は、20歳で生きないと言われる弱い体も持って生まれたらしい。
母親が小児科で言われてきた。
乳飲み子の頃、覚えは勿論無いが、肺炎を患い入院したそうな・・それを数えると今回の入院は、6t回となった。
何の為に生まれて、私に何の使命があるのだろうと考えた中学生だった。
生きてたら読める様にと20歳の自分に手紙を書いたのを覚えてる。
それを読み返す前に、私は、私の使命を見付けたのは、18歳の頃・・・
親父の夢を叶えようと思った。
父親は、小さいながらも会社経営をしてて特許もいくつか持つ研究熱心な人でした。
父曰く、リーダーシップとは、夢を伝える事だと・・・
父親からは、心響く言霊をたくさん貰ったような気がするけど。。
死に方は、教わらなかった。
心と身体は、別物で、身体には、原価償却年数があり死と共に心は、無となり己の持つ心身体のエネルギーは消えると教わった。
毎朝、仏壇と神棚に拝む信心深い父親が、死後の世界など無いと言ったには驚きも有ったけど。
素直に受け入れた。
母曰く、死は何度も経験するものでは無いから恐れることは無いと・・・とも言われた。
兄貴、死の何が怖いですか?
近い内によ76歳なる兄ににも聞いてみようと思う。
私は、今日死が訪れても笑って死ねる瞬間で在りたいと思う。

投稿: ひろ | 2019年6月13日 (木) 05時18分

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