あぁ~人生の一人旅
梅雨空の一日、今日もぶどう棚の下を行ったり来たり、一人の老農夫として過ごした。
多分こうやって年々歳々、歳老いていくのだろうと思う。
そう・・今更ジタバタしても詮無いが、この70年もの間「よぉ~生きてきた」もんだと思わないでも無い。
決して豊かでは無い農家の長男として生まれ、懸命に働く親父とお袋を運命共同体だと感じてきた。
二人の妹の面倒を見ながら、炊事風呂焚き、それに農作業を手伝ったんだから、おしん並みの小学生だった。
中学生になって勉強を覚え、(かなり晩生だが)その気になれば人に秀でることを知った。
確か中学二年だったか、マンモス校(同級生400人余)の掲示板に掲げられた成績は上から3番目だった。
その時から、悪ガキどもの私に対する態度(いじめられっ子だった)が一変するのを感じだ。
高校を出たら親父の農業を継ぐものと思い定めていたのに、大学に進み、更に就職してサラリーマンになってしまった。
時は正に経済の高度成長期で、その成長と共に私の立場もどんどん揚がっ(昇進し)ていった。
そうしてサラリーマンを50年近く勤めたのだが、物事には終わりがあって、一昨年その全てを退いた。
それからは悠々自適の晴耕雨読と言えば聞こえは良いが、なんの唯の隠居の毎日である。
奇しくもこの70年、おおきな転換点は何度もあったが、それでも私は今ここに立っている。
呑百姓の倅が、(江戸時代ならそのまんまだが)広い世間に出てそれなりに働き、そうして今原点に帰っている。
私が選び取った何の変哲も無い人生行路だが、それはそれ、よくぞ一人で歩いてきたものだとも思う。
そして改めて思うのは、人生とは必ず一人の孤独な旅なのだと言うことだ。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント