感謝の想い
「ありがとう100万回の奇跡」と言う本が話題になっている。
熊本在住の工藤房美さんの、抜け落ちる髪の毛一本一本にさえも「ありがとう」と感謝して末期癌を克服した話である。
恐らく工藤さんは、一日二千回以上も「ありがとう」と唱えたのだろうが、その想いはどれ程のものだったろうか。
私達は当たり前と思って生きているのだが、工藤さんの「有り難う」は死を現実のものにしての感謝である。
だけど現実には怒ったり泣いたり、イライラしたり愚痴ったり、そうそう感謝ばかりはしてられない。
それでも全てに感謝することが肝心で、しかも感謝しようと思うのではなく、「想う」べきなのである。
功利的に「思う」のではなく、精神(右脳)を感謝に仕向けることが「想う」だ。
私も毎日健康でいられること、元気に走られること、大きな声で「お早う」と言えることなど、ホントに有り難いと思っている。
いやいやそれだけじゃ無い、93歳になるお袋が元気なこと、細君が毎日元気で走り回っていることなどだってそうだ。
うっとうしい梅雨空が続くけど、それだって水に不自由しなくて済むし、喜んでいる作物(水稲)だって多い。
10年で100万回「有り難う」を言おうとすれば、一日300回は言わなければならない訳だが、
口で「有り難う」を言うのは案外容易いのだが、言わなくても「有り難う」が伝わるのが感謝の「想い」だ。
梅雨の合間の日差し、冬の暖かな陽だまり、恵みの雨、細君の笑顔、孫達の生長などなど須く感謝だ。
唯単に「有り難う」と口にするのでは無く、それぞれを別の言葉で表現してみようと思っている。
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