人生論

2013年6月13日 (木)

Good for you !!

お世辞なのかどうか、ある方から「あなたは、昔とちっとも変らないね」と言われた。

次いで「同じように歳をとってきてるのに、何時も若々しい」と仰る。Dscf7581

前々から書いているように、「若さは、何をやろうとしているか」だと思う。

目標を持つことなく閉塞して暮らしたら、忽ちにして老け込むのは請け合いだ。

それに「過去に生きる」のは禁物だと思っている。

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だから過去の職域の会などには、出来るだけ出席しないでいる。

集まって過去の追憶に耽ったところで、何も産まれはしないからだ。

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人間は、何時も「只今この時」が全てであって、

その連続が人生の時間になっているにすぎない。

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過去にタイムスリップしたところで、現在の状況は微動だにしない。

とは言え、過去を振り返らない訳ではない。

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思えば私の場合、ずぅ~っと走り続けてきたような気がする。

脇目も振らずに走ってきて、今も走り続けている。

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だから「変わらない」のだろう。

最後まで走り続けりゃ良かろうと思っているし、

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そんな頑張る自分に、Good foy you !!と叱咤したい気分でもある。

人間は、歳をとるほどキョウヨウやキョウイクが必要だと言われる。

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否、教養と教育は既に十分だろうから、

「今日の用」と「今日行く」所が無いと、もう死を待つ存在になるってことさ。

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まあそれも多過ぎるのは考え物だが、some downtimeを含めて、

その人なりの人生の役割を果たすことだろう。

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2013年6月11日 (火)

Differrent Walks of Life

どんな環境の下に生まれ、どんな女性と巡り合い、どんな仕事をしたか。

それで人生のあらかたは決まってしまう。

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それも惚れて一緒になった女は大抵駄目だね。

それから、長年の仕事が人を一定の型に作りあげてしまう。

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だから仕事によって、伸びる人もいれば閉塞する人もいる。

だが、どんなに恵まれた環境下で育ったとしても、それが裏目に出ることだってある。

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子供の家庭内暴力で塗炭の苦しみを味わう人、

逆に身体障害の子供が生まれても、むしろ温かな家庭を育む人もいる。

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財産に恵まれたとしても、心さみしく孤独な人生を強いられることだってある。

上を見れば限がないし、下を見たって際限もない。

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とどのつまりは、人生色々なのである。

「人生いろいろ」と発言して物議をかもした首相がいたけど、正に現実なんだよね。

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夫婦共に優秀で可愛がってきた子供に半殺しの目に合うことだってある。

学校の成績は駄目だったけど、心優しい子供に巡り合う人もいる。

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何が幸せかって、それはどんな環境でもめげないで生きることさ。

毎日のように、色々な会合で様々な方と顔を合わせている。

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誰だって、人に言えない悩みもあるし苦労もある。

それでも、それぞれ役割を背負って健気に生きている。

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人生は、辛いことの方が多いのだ。

だけれども、それを乗り越えた喜びの方がさらに深いのさ。

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2013年6月 7日 (金)

凡庸の弁

「中庸」というやや難しい概念がある。

この儒教の中心思想を編んだのは、孔子の孫の子思とされている。

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不偏不奇、過不及などが柱になっていて、中庸であれば世の中は丸く収まるとされる。

それで、両極端を足して二で割れば良いとか、調和や中和と理解されがちでもある

この国は聖徳太子の「和をもって貴しとなす」国だから、それは受け入れ易かろう。

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例えば私だって、凡庸にして平均人だから中庸の道を歩いていると思い込んでいた。

大食いでもなく、かと言って特別に少食と言う訳でもない。

酒だって某さん達のような酒豪ではないし、だがまったく飲まない訳でもないからだ。

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だがそれは中庸とは何の関係も無くって、只の「普通」と言うことらしい。

兎に角、平凡が中庸ならこの世の中苦労することはない。

すべからく無関心で平凡に生きることが正しい訳じゃない。

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前向きに取り組もうとすれば、幾ばくかの障害が必ず起こる。

事なかれ主義は決して中庸の道ではないと思うのだ。

とまれこの国の政党の様に我田引水してたんじゃ、

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とてものこと進歩は望めない。

尖閣や竹島も結局は、何らかの力でしか解決できないだろう。

一頃流行った「自己責任」だって、とどのつまりは弱肉強食と紙一重だった。

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かく言うように、実際には中庸の道を探そうとしても容易ではないのだ。

だけどどうだろうか?

誰もが「自分こそ正(中庸)しい」のだと思って生きているのではないか。

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だからこそ対立も起こるのだが、一面で中庸は作られるものだと思う。

これこそ正しいのだと言う道を示して、大向こうの納得を得られればそれが中庸だ。

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つまり中庸の道とて、自ら切り拓く道なのだ。

自分の歩み行く道を確かめつつ、一歩一歩着実に進むことだ。

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「中庸」は、我が中学・高校の校訓である。

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2013年6月 6日 (木)

男の色気

私の様に平々凡々と生きてきた人間には無縁の事だが、

男が惚れる男と言うか、世の中には自分にない魅力を持った男がいる。

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それは運動能力だったり、目の輝き、言動と行動力だったりする。

その身のこなしが羨ましくって、真似ようと心掛けたことがある。

しかし所詮はぼんくら、果たせぬ真似ごとになった。

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しかし、色気は形式美から生まれると感じた。

立居振舞には、それなりの方式があってバシッとそれが決まればサマになる。

小笠原流礼式とか、古来の礼式もその流れである。

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茶席でも取って付けたようなお点前は簡単に露見する。

そもそも不自然だ。

例えば通夜や葬式の席でも、その人間性が現れる。

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お焼香の姿だって、すごく様になっている人とふにゃふにゃな人がいる。

切れの良い身のこなしは見ていても清々しい。

要は、その型を自分のものに出来ているか否かだろうか。

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私も馬齢とは言え、随分長いこと人間をやってきた。

それなりに培った私なりの形を、オドオドせずに自信を持って表現すべきと思っている。

それは人の前に立った時のトークであったり、人あしらいであったり、

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取りも直さず日々の生活そのものに色気を付与することだ。

長い間隠忍自重、ひたすら自分を抑えながら生きてきた。

色気とは無縁な道だったろう。

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しかしもうそろそろ、人間性の一部を露出させても良いんじゃなかろうか。

その方が、人間本来の有り方なのかも知れない。

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2013年5月31日 (金)

人生の素顔

先日アクティブ・シニアネットで、私のアクティブ・ライフについてお話させて頂いた。

話終わった後の懇談で、「健康管理はどうしているの?」と質問があった。

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その瞬間「私の生活、そのものが健康管理でしょ!」と叫びたかったのだが、

そこはグッと抑えて「継続的に運動してるし・・・」などと答えていた。

そもそも、健康管理なんてものは不健康な人間のすることだ。

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規則正しい生活をして「適度」な運動をして、そしてアクティブな姿勢を保てば、

自己管理能力が疑われるような不必要な脂肪なんてつかないし、

健全で必要かつ十分な筋肉が育つ。

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その100kマラソンさえ物ともしない健康体に向かって、健康管理もくそもなかろう。

ともあれ、日本人の平均寿命は少々延び過ぎたようだ。

何故って、それはあくまで平均寿命であって健康寿命じゃないからだ。

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今日の日本人の健康寿命は、平均寿命より男で9年、女では13年も短いのだそうだ。

早い話が、その間の年数は寝たきり〔もしくは呆けたまま〕の暮らしが続くのである。

如何ともし難い、これはもう拷問ではないかと思う程だ。

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動物の寿命は、細胞分裂の度に短くなるテロメアが支配している。

テロメアが一定程度まで短くなると、もう細胞分裂できなくなって寿命が尽きる。

そしてそのテロメアの短縮は、不規則な生活と運動不足が起こすんだ。

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だからほら、犬や猫だって外で飛び回ってるじゃないか!

尤も彼らは、先祖のトラや狼と同様に食い物のために走り回ってるのかもしれないが・・。

近頃じゃその犬や猫を家の中で飼って飽食させている。

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彼らは苦労もせずに飯にありつけるから、のんべんだらりと暮らすようになる。

結果は、ランドレースと見まごうごとき肥満姿態が出来上がるのだ。

楽して気ままに行動してりゃ、人間だってそうなるさね。

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本来の人生の素顔は、餌を求めて頭と体を駆使するところから生まれる。

今日は学校の帰りに山に寄って、爽快に走ってきた。

今日もすこぶる快調である。

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2013年5月24日 (金)

目標と退化

幾ら冒険家とは言え、80歳で標高8,848mのエベレストに登頂するのは神業だ。

三浦雄一郎と言う男の生き様を見せてもらった思いだ。

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私は毎年、富士山頂往復マラニックに参加してきた。

海抜ゼロメートルの田子の浦から富士山頂に登って折り返し、

24時間以内に田子の浦にゴールするマラニックだ。

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かつてはそんなことは無かったんだが、近年では7合目付近で猛烈な高山病に襲われる。

田子の浦を午後六時にスタートして夜っぴて登っていく睡眠不足と疲労、

それが高山病を惹起するのだろう。

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五歩進んで10分休むような前進を続けたこともあるが駄目だった。

昨年は片目が見えなくなって、慌てて下山した。

80歳に比べればまだまだ若い私にして、その体たらくである。

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三浦さんは、70歳で登頂して以降目標を失って、自分が退化していくのを感じたと言う。

三浦さんならずとも、私達だって生きる目標も無しにのんべんだらりんと生活してたら、

考えることも陳腐化するし、体だって衰えていく。

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子供が一人前になって、自分も退職した途端に生きる意味が朦朧としてくる。

人間の生命が退化する兆しだろう。

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子育てや住宅ローンの返済は人生の通過点に過ぎない。

私達は、自分と言う個性の生きる意味をもっと追求すべきだ。

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人のために何をやったか、自分の為に何が出来るか?

自分と言う個体が生きたことで、何がしかの価値をこの世に残したい。

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そりゃ、花一本・ほんのささやかな野菜を育てることだって良い。

三浦さんの快挙程の真似は出来なくても、自分なりの目標を持とう。

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私も今、次の目標に向かって歩き始めている。

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2013年5月15日 (水)

順風一路?

人生は人それぞれで、波瀾万丈とまでは言わなくとも、

大波小波をくぐり抜けてゴール(墓場)に辿り着くものだ。

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私だって、随分人に恵まれ、時代やチャンスにも恵まれていたと思う。

団塊の世代の先頭で何時も鮨詰め教室、入試地獄・・・・

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だけど高度経済成長のお陰で、就職に苦労することも無かった。

職場では、素晴らしい先輩に次々と目をかけていただいた。

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とは言え挫折は数知れずあったし、その度にめげながらも立ち上がってきた。

思えば随分沢山の失敗劇も演じてきた。

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長い人生である。

どんな航海にだって、順風一路なんてことはあるまい。

そんなこんなで、人がどう思うか別にして、Dscf7167

たまたま今日ここに立っているのに過ぎない。

実は、先日も大きな失敗をやらかした。

市長以下を来賓に迎えた会合で挨拶に立ったのだが、Dscf7165

上気して通常の話が出来なくなって、

最後まで自分をコントロールできない状態が続いた。

このショツクはかなり大きくて、自信喪失状態に陥ってしまった。

よくよく理由を考えてみた。Dscf7162

準備不足?  否、昔からの上り癖?  否・・・

最後に思い至ったのは、あの憔悴しきった富士五湖の2日後だったことだ。

心身共に精力を使い果たして、回復もままならないまま人前に立った結果だった。Dscf7113

自分で自分をコントロールできない状態と言うのは、かなりの脅威だ。

不摂生の末とは言え、お集まりの皆さんには大変申し訳なかったと思っている。

ことほど左様に、右往左往しながら航海している。

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風に乗って人生を最適化しつつ航海する才人とは訳が違う。

でも失敗はしても、私なりに一日一日を大切に生きようと心している。

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2013年5月11日 (土)

人と絆

今夜は少し難しい話になりそうだ。

東北のあの震災で「絆」がひときわ強調された。

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誰が言い出したのかは別にして、あれは連帯と言いたかったのだと思う。

一定の意味はあるにしても、絆とは誠に漠として実態を伴ったかどうか。

支援金を出せば、「絆」であるかのような幻想さえ抱かせた。

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二年以上たっても、未だに仮設住宅で多くの人達が暮らしている。

阪神・淡路の際には、もうとっくに全ての仮設住宅が閉鎖されていた。

今、「東北に寄り添って」と言われている。

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復旧すらままならないのに、世間は既に震災を風化させつつあるからだ。

戦後の日本の国の現実は、ミーイズムが闊歩する国になっている。

困っている人が有ったって、見て見ぬ振りをして過ごそうとする。

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マザー・テレサが「無関心が一番怖い」と言っていたが、

「俺にゃ関係ない」がこの国の現実ではないか。

戦後、自由と言う言葉が独り歩きしてきた。

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この自由は、ひょとしたら「タコ糸の切れた凧」の自由ではないのか。

凧は、その糸に引っ張られているからこそ天高く上がることが出来る。

だけど「俺は、糸が無けりゃもっと大空へ」と錯覚したのではないか。

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世間の規範も倫理も、そして互助の精神すらも置き捨てて欲望を追求してきた。

その結果、地域のコミュニティーも、家族の団欒・会話すらなくなって、

残ったのは孤独だけだった。

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子供達だってすべてが与えられた結果、生きていく自力と智慧を失い、

自殺者3万人、引篭りやDVの多発をもたらしている。

戦後、何かが狂ったのだ。

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今日は青少年健全育成関係と地区社会福祉の二つの総会があった。

午前午後の会合の中で考えたことだが、

講師の龍谷寺住職、笛岡賢司さんのお話は考えさせるものがあった。

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2013年5月10日 (金)

夕日を追いかける

昨日、ある会合で「何時まで走るの?」と問い掛けられた。

どうも、私の年齢と100k走が結びつかない様子なのだ。

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何時まで走ることが出来るのかは、正直なところ自分でも分からない。

しかし、可能な限り走り続けようと思っている。

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実は、先日の南の島のマラニックには、78歳になる雲峰さんが参加されている。

勿論気持ちは私達と何も変わらないが、ただ走力は流石に弱くなっている。

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それで彼は、2日目のコースを自転車に乗って伴走したのである。

それも私たちを励ましつつ、とてつもなく愉快に島を堪能していた。

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人間、要は気持ち次第なんだ。

人間の脳も筋肉も使わなければ衰える。

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否、衰えるどころか錆付いて動かなくなってしまう。

怪我や病気で10日も拘束されただけで、筋肉はゲソッと無くなってしまうだろう。

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それを医学用語で廃用性萎縮と言うのだそうだが、なるほどと頷ける。

人は、とかく易きに流れやすい。

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困難を避けているつもりが、何時の間にか何もできない人になっていく。

認知症というのも、そうした流れの中にあるのではないか。

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何事も諦めないで敢えて挑戦を続けたい。

何だか、沈む夕日を追いかける少年のようだが、

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追いつく筈もないのは承知の上で、あえて目標に向かって走り続けようと思っている。

それが何歳まで出来るかなんて、考えても意味がない。

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2013年4月28日 (日)

偲びて思う

ある日突然に、身近だった人の訃報に接することが増えた。

生者必滅であって、何時かは誰もがそうやって死んでいく。

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今日は叔母の法事があって、しばし故人のことを思い出していた。

この人も自分なりに一生懸命生きていた。

子供の頃、そんな叔母を一個の生き様として観察していたようなそんな気がする。

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その叔母が突然亡くなってから、もう一年が経過した。

たった一年なのに、遥かかなたの昔の人のような気もする。

生老病死は生物の必然、死すれば既に鬼籍の人なのだ。

法事の故に、フッと何ということも無い幾つかのシーンを思い出していた。

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しかし私はあくまで第三者であって、この人のことを殆ど知っていない。

どんな思いで生きたかってことも知らない。

ことほど左様に、他人は自分が思っているほ自分に関心など持ってはいないんだ。

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葬儀に多くの人が集まったとしても、その儀式を除けば、

その死を見つめる気持ちは犬猫とさして変わらないのではないか。

それに人間は、死んでもあの世は有り得ないと知ってしまっている。

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死ねば、ただその生涯を終えるだけの話だ。

不老不死を求めた秦の始皇帝の夢は果たされなかったが、

IPS万能細胞が実用化されると、寿命は更に延びるかも知れない。

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臓器を取り換えることで人は見違えるように元気になるだろう。

だがしかし、それとて限界が来る訳で、

それよりも、やるべきことをやり終えたら、人はせっせと死ぬべきだろう。

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肝心なのは生きて何を成すべきかなんだが、実はそいつが一番難しい。

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