心と体

2011年8月15日 (月)

蝉しぐれの盆

旧盆の頃は、蝉しぐれの時期と重なる。

生の終わりを急き立てるかのように蝉の鳴き声が降ってくる頃だ。

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盆は、先祖の供養の行事だが、遠州地方には独特の大念仏がある。

20人ほどの若者が太湖を打ち鳴らしながら踊り続ける。

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単調な歌と踊りが続くのだが、それを聞くうちに供養とは何か分かるような気がしてくる。

念仏は「高き山 高きススキを刈り分けて 親のお墓へ花立に行く

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花立てもどる姿を見てやれば 袖は涙に裾はつゆつゆ・・・」と唱和している。

今日、旧豊岡村で行われた大念仏を鑑賞しながら、

「悠久と経年」と言うことを考えていた。

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人はどんどん馬齢を食んでいく。

見方によれば加齢は若さを失うことであり、或いはかつての能力すらも失っていく。

だが年齢を重ねるということは、経験と知恵、更には人脈が増えていく過程なのだ。

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つまり失うものと引き換えに、実は多くの財産を蓄えることでもある。

仮に恍惚の人となったとしても、そのことはどこかに残されるものなのだ。

遠州大念仏は400年前から少しも変わらずに続いている。

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若きが老いを受け継ぎ、そうして今も70組がその流れを引き継いでいる。

たかが念仏だが、これは一個の人間が生涯を全うする総和なのだろう。

一個の個体は、生まれて成人して老いて滅びていく。

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しかし形にならなくても確実に生きた証の片鱗を残していくのも事実だ。

遠州の念仏は、「人が生きるってことは・・・そうだぜっ」て語りかけてくるようだった。

流れゆくものの中に、微動だにしない何かがあるのだ。

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2011年8月12日 (金)

庄屋の一人息子と遅胡麻

昔の人は、良く道理を言い当てていた。

とは言え、こんな言葉の意味を今時誰も知るまい。

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何事にも恵まれた庄屋の一人息子は甘やかされて育つ。

結果として大抵は人並みの人間にならない。

一方植物の胡麻は長日性の植物である。

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播き時を遅れると花芽を付ける頃に立秋を迎えてしまって、

葉ばかりながら実を着けることがない。

要するに物の役に立たない事を並立させたのだ。

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豊かな時代の少子化は、この道理で行くと遅胡麻になる。

おまけに子供手当などと調子付いていると、年金世代もうかうかできない。

屋敷ごと身代を潰されてしまいかねないからだ。

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ゆめゆめ年金に依存してはなるまいが、

そうせずに生きる術があるのかどうか?

話は変わるが、私はオクラを数百本育てている。

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今年の春の天候かどうか、苗の成長がすこぶる悪かった。

それで何度も播き直しをして、最後の方では随分遅くなってしまった。

晴天に恵まれて図体は随分大きくなった。

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しかしながら、一向に花を咲かせない。

側枝から出てくるのは脇芽ばかり。

オクラも遅胡麻と同じだったのだ。

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はてさて、少子化世代に花が咲くのかどうか?

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2011年7月12日 (火)

還暦からの人生

私の親しい人が近く還暦を迎える。

それで還暦を通過した団塊の世代のことも併せ、今夜はそのことを書くことにした。

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子、丑、寅・・の十二支には、それぞれ甲(きのえ)、乙(きのと)、

丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)が振られる。

そしてその組み合わせが一巡する60年で、

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自分の生まれた年の組み合わせに戻る。

だから還暦な訳で、歴の上で新しい1歳が始まることになる。

それに大抵の人は、退職など名実ともに新しい人生を始めることにもなる。

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赤いちゃんちゃんこは、その転換(赤ちゃんになる)のお祝いということなのだ。

さてそこで問題なのは、生まれ変わった後の人生だ。

つまり、ここで腑抜けのようにガックリと歳を取るか、

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それとも心機一転新たな挑戦に臨むかである。

それに何に取り組むかも大切で、

そいつを間違えると、小人閑居して不全を為すと成りかねない。

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まあ望むらくは、天上天下唯我独尊で、

唯の一人だとしても衆寡敵せず我行かんと生きてみたいものだ。

私もこの還暦の分岐点に向けて随分準備してきたのだが、

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それでも一歩前進二歩後退というところだろうか?

人の評価は、お棺に蓋が閉まって初めて決まるともいわれる。

つまりは、グダグダ考えても仕方ないということだ。

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と言うことで、自由な日々を自由に生きようと努めている。

平均寿命でも女84歳、男77歳とまだまだ先は長い。

とんでもない飛躍は無理としても、

匍匐前進だって良いから前向きに生きてやろうと思っている。

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2011年7月10日 (日)

自分の意思

昔、魔法の杖があったらなと考えたことがある。

その杖を一振りすると何でもできちゃうんだ。

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今ならさしづめ、福島原発の冷温停止だって直ちにできちゃう。

セシウムもたちまちにして消して見せることが出来るだろう。

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だけどそんな魔法の杖も神通力もこの世に有る筈もない。

「魔法」を夢想したのは、自分の意思が分からなかった頃のことだ。

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どうやつて自分を創りだしたら良いかも分からなくって、

とにかく自信がなくて、失敗が怖くてクヨクヨと俯いていた。

この世にスーパーマンなんていないのだから、

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落ち込んだり悩んだりクヨクヨするのが本当の自分だってこと、

そのことがなかなか分からなかったのだ。

今私は楽しんでマラソンを走っている。

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仮にこれが強制されていやいや走るとすれば、それは悲劇だな。

自分の意思で走るからこそ、楽しくて楽しくて仕方なくなる。

私はブドウを栽培している。

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ブドウは全てが手作業だから相当にハードな労働も続く。

しかしその困難を乗り越えて立派なブドウを稔らせるのが楽しくてたまらない。

そうして誰かが「美味しい!」って褒めてくれたら、

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そうして誰かが「完走おめでとう!」って拍手してくれたら、

もうそれだけで「また頑張ろう!」って気になるのだ。

人生って不思議だな。

どこかの誰かに、ほんの少し認めてもらえさえすればもうそれで充分なんだから。

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2011年6月13日 (月)

忘却力

私は、人並み以上にくよくよ悩んだりする方だと思う。

こうすりゃ良かったとか、ああ言ったのは誤解されたんじゃないかとか、

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とにかくグルグルと同じ悔悟が頭を回っていたりする。

それが一週間もすると、綺麗さっぱり悩んでいたことすら忘れてしまう。

それは何か契機がある訳でもなく、やはり時間の経過なのだ。

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何時の頃からか、その忘却の時間を自分で利用するようになった。

思い詰めて困った時、一定の間を置くようになったのだ。

それで、私自身どれ程救われてきたことかと思う。

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それはそれで、自分の忘却力に感謝してきたのだ。

しかし最近では、忘却の勢い余って肝心なことも忘れるようになった。

あれっ・・・どこに書いたっけ?

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などと、あちこちひっくり返しつつ思い出そうとしても出てこない。

要するに、めっきりそんなケースが増えつつあるのだ。

そんな筈はなかろうと疑いだすと、自分への信頼すら揺らぎそうである。

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人間の記憶もコンピューターと同じ様なものだろうから、

インプットの仕方が疎漏になったのか、やたら消去してしまうのか、

それともICそのものがウイルスに侵略されているのかしらん?

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そもそも人間の脳は40歳位から萎縮が始まるらしい。

とすると、もう相当形も変わってしまったのかもしれない。

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まあ仮にそうであっても、忘れるのも機能の一つだと思いたい。

必要なことは手帳にこまめに書いておきゃ良かろう。

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そうして私のチップの方は出来るだけ空にしておこう。

色即是空 空即是色、ケセラセラとね。

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2011年6月11日 (土)

機能年齢

何年かぶりで同級生に会ったりすると、その大変な老けぶりに驚くことがある。

それで俺もさぞやかしと、しばし鏡を覗きこんだりする。

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「そりゃそれなりに老けてはきたが、それ程じゃなかろう」と呟きつつ。

ともあれ、人の歳の取り方には随分と個人差がある。

人生50年の昔はともかく、かつての55才定年の頃でも退職者はかなり老けていた。

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しかし営養も情報もタップリで定年も65歳になろうとする今日、

還暦そこそこで老け込んでしまっては困るのである。

今日の肉体的年齢は、実年齢の七割、百歩譲っても八割くらいだと思う。

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とすれば、私も未だ50代の入口あたりにいることになる。

定年まで未だかなり間がある年代でしかない。

100kmマラソンを年三回走り、フルマラソンも4時間半を切っている。

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そもそも機能年齢には、精神年齢同様にその個体差が15年位はあるのだろう。

70才でエベレストに登頂した三浦雄一郎は別格としても、

目標に向かって歩き続ける精神的な若さこそが、機能年齢を若く維持する。

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「もう」ではなくて「まだ」なのだ。

自分を過小評価することはあるまいて !

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2011年6月 1日 (水)

天人合一

中医営養学のさわりを伺う機会があった。

遠来人の会の例会でのことである。

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中医営養学は中国伝統の薬膳につながるのだが、

私はその前提としての天人合一思想と健康に関心を持った。

先ずは、営養とは食べることから排泄まで体を営むことなのだそうだ。

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もちろん西洋医学で言う栄養とは観点がまるっきり違っている。

それは人間も自然界の一部であって、

その自然の摂理に沿って生きる天人合一思想に由来する。

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そもそも自然の一部である人間の病気は、

内臓もしくは精神のバランスを失うことから引き起こされる。

つまり病気の原因は、自分の体の内部にあるとする。

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だから暴飲暴食や気候の変化への対応、精神の屈折など、

バランスを崩すに至った原因は自分の中に見出せると説く。

そして、弩・喜・思・憂・悲・恐・驚の七情を程よく保てと教える。

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程ほどの怒りも悲しみも驚きも、常に持ち合わせることが大切なのだそうだ。

精神の闊達な働きを維持しろと言うあたり、かなりの説得力を持つ。

思えば恐怖も悲しみも知っているからこそ、暴走が抑止されるのだろう。

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私たちは余りに自己中心のままに物事に向かいがちだ。

やがて何時かは自然に帰るのだし、

平素から天人合一を心がけてみるのもよかろう。

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2011年2月 1日 (火)

世を遊ぶ

人生は、遊ぶためにある。

何も遊興三昧をしようという意味ではない。

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だが近頃、つくづくとそんな風に思うようになった。

人が幸福を感じるのは、物事を成し遂げた刹那だ。

それは仕事の成功や記録更新、結婚や新居建設だったりする。

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そり目的に走って行って、到達したその達成感こそが幸福感なのだろう。

しかして、その諸々のチャレンジこそが人生の遊びそのものではないか。

例えば42.195kmのマラソンだって、そりゃ遊びそのものでしょ。

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だけど事前の練習からして、それは苦行の連続でしかない。

苦行でも目的に向かって黙々と進んでいく。

そしてそれは、一種の高揚感を帯びてさえ来る。

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これは仕事であろうが習い事だろうが、事は同じなのではないか。

障害物を乗り越えることは、その遊びを面白くすることに通じる。

人生すべからく、そんなもんじゃないかと思うのだ。

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ただ、一生は結構長いし人それぞれに遊び方も違っている。

場合によっては、楽しかるべき時間を苦行のままにしてしまう。

人生は楽しい時間を自ら限りなく作り出して、

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仲間と共に「また、遊ぼうねッ」って生きたいものだ。

そしてその楽しい時間は、楽をして得られることはないのだ。

人生は、長くてたかだか80年、盛年は50年でしかない。

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人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり(敦盛)

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2010年10月23日 (土)

妙齢?

今更、若々しい年頃だと強弁するつもりではない。

還暦過ぎて間もない年頃は、妙な年頃だな~と思うのだ。

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歯・目・マラは兎も角として、体の老化がそれほど著しい訳でもない。

気持ちは、それこそ若々しいまんまなのだ。

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しかし、孫にはジイジと呼ばれ、職場はリタイアする他無い。

かと言って、年金支給は65歳からである。

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フランスじゃ、その支給年齢を62歳にするって暴動騒ぎだけど、

日本の団塊の世代は、文句すら言わないで唯々諾々としている。

かと言って隠居の如く、田舎で慣習にくるまれて呑気な訳でもない。

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感覚も体も年齢相応には老けてくれない。

その現実とのギャップに対応できないでマゴマゴしているが本当だ。

努めて、人生の余白だと思おうとしている。

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余白の無いページが無い様に、人生の余白も実に大切なのだ。

だが、その余白に何を書きこみゃ良いのか分からない。

! 望むらくは、もう一度あの晴れ舞台に復帰したいのだ。

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ともあれ、六十過ぎは妙な年齢なのだ。

耳順とも言うから、天の声に従って生きる他あるまいて。

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2010年10月11日 (月)

限りある命の故に

近頃は、結婚しない男女が増えている。

それぞれ自由気侭かもしれないが、是非考えて欲しい。

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人は誰でも死ぬ。

そして、DNAだけが受け継がれて流転していく。

生きるものの宿命と言えるのだろうか。

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例外があった。

大腸菌には寿命が無いのだそうだ。

つまり、環境次第で永遠に生き続けてしまう。

一方、有性生殖をする私達にだけ寿命がある。

細胞分裂の限界があって、その限界に達するとそれが寿命になるのだ。

DNAの両端のテロメアと呼ばれる部分少しずつ減っていって、

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それが減耗して無くなるとそれが寿命になる。

じゅあ、大腸菌が無限に細胞分裂できるのは何故か。

それは大腸菌のDNAが輪の様に丸くなっていて減らないからだ。

それなら私達のDNAも輪にしたらどうか?

実は遺伝子組み換えで、これを成功させた学者がいる。

DNAを輪にした酵母菌は、なるほど不老不死になった。

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大成功である。

ところが、肝心の有性生殖の機能が無くなってしまったのである。

つまり私達は、異性との出会いと引き換えに永遠の命を放棄したのだ。

進化の神様は、永遠の命よりも春夏秋冬の一生を選んだのだ。

出合と言うものを大切にすべき所以だろう。

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