2008年7月28日 (月)

円空

円空と言うユニークな僧がいたことを知った。Cimg6085

円空は、徳川の世もやっと定まった、江戸初期の人だ。

美濃国で生まれて、北海道から近畿地方までを遊行しつつ、

その生涯に、一万体もの仏像を彫った。

円空の仏像は、大日如来や文殊菩薩、阿弥陀などの均整の取れた美しいものもあるが、

仏像離れをしたような彫り物も多い。Cimg6084

私の目から見ると、この人は仏師というよりも創造的な作家だったのではないかと思える。

今にも声を発しそうな仏像を見ながら、そう思った。

長良川河畔の弥勒寺に、関市円空館がある。

現在確認されている円空の仏像は、5,300体程あるのだそうだ。

その一部が、この円空館に展示されている。Cimg6086

彼の仏像をみていると、円空の一生が想像できたりする。

円空、64年の生涯であった。

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2008年7月 6日 (日)

秋野不矩という画家

画才と言うものが、何によって培われるものなのかは、私など凡才の知る由も無い。Cimg5935

秋野不矩は、天竜川中流の片田舎に生まれた。

そしてその93年の生涯のうち、70年間を絵を描くことで燃焼させ続けた。

戦後間もない頃(1962)、大学の客員教授としてインドに滞在した。Cimg5934

その経験が、彼女の画風に独特の主張を注ぎ込んだ。

真っ直ぐに降り注ぐ太陽の下で、痩身でありながら力強く生きる人々。

植物も虫も、生命力に満ち満ちて生きている。Cimg5937

その原色に近い有様に、秋野は生命そのものを見出したのだろう。

例えば「回廊」と題された寺院の廊下に、私達は何を感じれば良いのだろうか。

強い光線が差し込んで出来る陰影の区切りは、私達の一年一年の来し方かもしれない。Cimg5941

そんな昼夜の繰り返しの末に、どこに辿り着くのだろうか。

「ガンガー(インダス河)」や「カミの泉」でも、小さな小さな命と大自然とを対比させている。

そう、秋野不矩が写し取った生命は、私達の歩みそのままかもしれないと思った。Cimg5936

今年は、秋野不矩生誕100年になる。

浜松市天竜区の中山間地まで、彼女のメッセージを聴きに多くの人が訪れている。

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2008年6月18日 (水)

日本の美

恥ずかしい話だが、後藤純男という我が国美術界の重鎮を知らなかった。Cimg5807

農地が美しい曲線を描く上富良野町に、後藤純男の美術館があった。

美術館に入って先ず圧倒されるのは、日本の美とはかくなるものかと言うことである。

京都の四季や桜花爛漫の春の数々だ。Cimg5808

否、それにもまして人の心を打つのは、北海道の厳しい自然だろう。

「流氷の春」や「十勝岳連峰」などである。

古藤純男は、千葉県の寺院に生まれた。Cimg5810

だから神社や仏閣には、思いの丈が深かったのだろう。

若い時の絵には、京都の風景が多い。

その後藤が、厳しい絵を描くようになるのは、北海道の自然にふれてからだ。Cimg5813

後藤の絵は、近代日本画を代表するものになっている。

そんな訳で、今回のG8サミットでもこの美術館が視察場所になった。

各国首脳たちは、日本の美と言うものに何を感じるだろうか。Cimg5811

ちなみに日本画は、和紙に岩絵の具と膠で描いていく。

洋画の画布に油絵の具とは本質的に違っている。

岩絵の具の原料は、サンゴやクジャク石、貝殻やオパール、ラピスラズリなどである。

彼の書に、「時 不再来」とあった。Cimg5816

その書の傍らに、Time Never Returnsと注釈があった。

彼は、日本の美の瞬間を描きとめてきたのだと思った。

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2008年5月10日 (土)

タイルについて

タイルなぞは、無味乾燥な焼物に過ぎない。

日本人の趣味とは違うな !・・・そう、思っていた。

だが、文様はタイルで始まっている。Cimg5250

5500年前の古代メソポタミアでは、粘土で壮大な装飾壁ガ作られている。

世界最古のピラミッドでも、緑色に彩色されたタイルで地下空間が作られている。

それにイスラムは、勿論モスクや宮殿をタイルで幾何学模様を描いてきた。

イスラムでは、タイルと侵攻が深く結びついている。

土は水によって形になり、火を加えることで焼物になる。

その形を組み合わせることで様々な芸術が出来上がる。Cimg5249

私達の住まいにタイルを取り入れだしたのは、オランダの商人のようだ。

そうして今、私達の周りにはタイルがあふれている。

玄関やら台所に洗面所、住宅の壁だってタイルが多くなってきた。

タイルの優れたところは、変わらない事だ。

常滑にINAXのタイル博物館がある。

世界のタイル、約1,000点が展示されている。

そうして、便器も焼きものの延長なんだね。

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2008年5月 8日 (木)

たたずまい

美術館にしても神社仏閣にしても、

何時も、そのたたずまいに圧倒される。

どうして、こんなに落ち着いた空間が醸し出されるのだろうと。Cimg5439

非日常的な空間なんだけれど、そこは自分の故郷であるような気さえしてくる。

時代の蓄積と言うものなのだろうか。

湖西市の本興寺を訪れ、その来歴が1368年からと知る。

鎌倉時代も末期だろうか。Cimg5438

宗派が何であれ、この国に住まう人たちが育ててきたものなのだ。

私達は、日常の繁多にかまけて、日本人が育ててきたものの何かを忘れてはいけないと思う。

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2008年5月 4日 (日)

連休の一日

連休と言っても、私にとっては毎日が連休なのだが・・・!Cimg5448

静岡市の芹沢鉎介美術館を訪れた。

芹沢美術館は、登呂遺跡の一角にある。

登呂遺跡自体は、再発掘と改修中でかつての趣きはない。Cimg5444

だが芹沢美術館は、凛として独特の雰囲気を醸し出している。

芹沢鉎介は、古い町が生んだ個性的な芸術家だ。

型絵染の人間国宝として、染色にとらわれず個性的な日本を表現して来た。Cimg5443

創造的で多彩な色彩と模様で、のれんや屏風、着物、帯、絵本、包装紙などを魅力的な物にした。

実に素直で健康的に、日本の良さのようなものを形にして見せてくれた。

美術館では、日本茶インストラクターが煎茶をもてなしてくれている。Cimg5445

一煎目と二煎目のコントラストが、味わいと言うやつなのだろう。

そのお茶を出してくれる部屋が、また何と言うか、窓外の緑と相俟ってハッとするような空間なのだ。

とにもかくにも、心やすらぐ一時であった。Cimg5449

静岡の町中は、ブラジル移民100年記念だろうか、サンバダンスなどもあって賑わいを見せている。

町中を歩くのも一日、美術館を楽しむのも一日である。

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2008年3月 1日 (土)

バーミヤン

4月8日は、花祭り。

昭和30年位までは、どこのお寺でも花団子を振舞った。

釈迦の生誕の日だからだ。Cimg5044

子供達は、その花団子によって釈迦というものを知った。

釈迦にしろキリストにしろ、苦行のすえ人の心を救う道を悟った。

そして、その悟りを教えとして残したのだ。

キリストは聖書に、釈迦は経文として、何れも弟子たちが纏めたものだ。

しかし、仏教の場合、経文だけでは難しすぎて、信仰の対象にならない。

「空即是色、色即是空」などと言われても、・・・それは哲学なのだ。

それで、誰でも分かるようにするために、釈迦の生涯を物語として彫刻することが始まった。Cimg5046

それがガンダーラ(パキスタン)あたりであったようだ。

やがて、その彫刻の中心にいる釈迦が、菩薩として独立するようになる。

釈迦の教えとは異なった仏像信仰の始まりだ。

バーミヤンの渓谷に作られた38mもの大仏も、そうして建設された。

期限100年頃のことだから、その大仏造営に何万人が関わったことだろうか。

三蔵法師がバーミヤンを訪れた時(600年)、ここの石窟に数千人の僧侶がいたという。

今ではアフガニスタンの片田舎でしかない。

そして、二つの大仏もタリバンのミサイルで破壊され、見る影も無い。

賽の河原と同じで、人間のすることは・・・いつも救いようがない。

2,000年も前に作られた仏像の端正な顔を拝みながら、そんな感慨にふけった。

はたまた、砂の中から掘り出されたばかりのような石像に、

千数百年前の物語を連想してしまったりする。

静岡県立美術館の今回の展示は、そんな心の展示である。

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2008年2月19日 (火)

香りの文化

私の執務室には、いつも茶香炉が炊かれている。Cimg4973

女性職員が、朝一番に調整してくれる。

だから出勤すると、あのお茶の微香を感じながら仕事を始められる。

その香りには10分もしない内になれてしまって、何も感じなくなる。

でも来客は違う。最初に、この香りを話題にするのだ。Cimg4971

そんな訳で、この茶香炉が結構役立っている。

ところで現代の日本人にとって、香りはそんなに身近なものではなくなっている。

恐らく香りの文化は貴族のもので、全体的に中流化した私達には縁遠くなったのだろう。

何故って、平安貴族はみんな香を焚き染めていたし、Cimg4970

暗い中でも、香りで人を識別したようだ。

中世の秀吉だって、香木を珍重したりしている。

現代では香水なんてものがあるのだが、うちの細君が香水の香水など嗅いだことも無い。

要するに、香りには全体として縁遠い暮らしをしているのだ。Cimg4972

しかし、磐田市に「香り」をテーマにした博物館がある。

香りの歴史や知識を知ることが出来るだけでなく、

自分だけの秘薬を調合したりも出来るのだ。

そう、香りは麝香がそうであるように、少しばかり淫靡なものなのかもしれない。

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2007年11月 5日 (月)

世界お茶祭り点描

たかがお茶、されどお茶なのである。Cimg4497

今回の世界お茶まつりは、2001年の第一回から三年ごとだから、三回目になった。

最初は、お茶でお祭りなんて出来るのかと奇異な目で見られていた。

でも今、お茶は文化だと認識して、このお茶まつりを支持してくださる人も随分増えている。Cimg4539

今回も、会場のあちこちで非日常的な風景が広がった。

玉露にはじめて触れた人。

自分流の茶の楽しみを伝える人。Cimg4499

お茶と、どのように付き合ったら心が豊かになるのか・・・・

随分沢山のヒントがあったはずだ。

その会場に、10万人余の人々が足を運んだ。Cimg4493

その中には、

厳粛な雰囲気の中でカルタ選手権に挑んだ子供達もいた。

中国の唐の時代のお茶に思いをはせた人もいた。Cimg4498

手揉技術の披露に汗を流した人達もいた。

4日間、同じ場所に座り続けた茶人もいた。

あちこちに、そんな茶の風景が広がった。Cimg4541

そしてお茶は、実に多彩なのだと思い知らされた。

人が集まらなかった所は、文化を持たずに売らんかなに走った産地だった。

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2007年11月 4日 (日)

お茶の科学と文化

お茶がこの日本に伝わって、もう1,200年になる。Cimg4544

800年前、鎌倉時代に栄西と言う禅僧が「喫茶養生記」を残している。

そこには、「茶は養生の仙薬、延齢の妙薬なり」と書かれている。

お茶が日本に伝わった当初は、僧坊の秘薬でしかなかった。Cimg4539

だが、その茶が庶民に伝播することで、当時の日本人の寿命をかなり延ばしたはずである。

つまり、ミネラルの補給と言うか、粗食の時代のサプリメントだったのだ。

各種ビタミン、テアニン、カテキン、サポニン、実に多くの成分を含んでいる。Cimg4533

そうした効能が、この20年の間に科学的に解明されてきた。

栄西の感じたことが、科学として証明されているのだ。

4日間に亘った世界お茶祭りが、今日閉幕した。Cimg4531

静岡県の石川嘉延知事は、自信を持ってこの催事の成功を宣言した。

同時に開催された、国際o-cha学術会議も閉会した。

この会議で、今回も約200余の研究発表がされた。Cimg4529

日本だけではない、中国、インド、アメリカ、ドイツ、

インドネシア、スリランカ、トルコなど世界各国の学者が、緑茶の研究をしている。

その今回の最優秀研究が、スリランカと中国の研究者であった。 Cimg4541

お茶の研究分野は、単に栽培だけでなく、加工や医学、薬学、それに歴史や文化に亘っている。

お茶を飲む文化がなければ、お茶は唯の葉っぱにしか過ぎない。

茶道がなければ、抹茶もうどん粉以下であろうか。

科学と文化が人々の幸せを作るのだ。

世界お茶祭りは、そのことを伝える世界一の祭りなのだ。

今回も、四日間で10万人余の人々がこの会場を訪れた。

おそらく一人ひとりの人生の中で、お茶とどう関わって生きるのか、

改めて考えた人も、多かったのではないかと思う。

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2007年10月13日 (土)

伝承と非日常

祭りは、私たちの生活文化の伝承と言える。Cimg4206

禰宜番がご馳走を準備し、村の若衆が神輿を担ぐ。

それが、瑞穂の国の祭りの原点である。

それが今、形は変わっても伝承の部分は不変なのかも知れない。Cimg4207

屋台の前で陶酔している若者は、おそらく100年前だって同じ気分ではなかったか。

今日一日、たっぷりとお祭りと付き合って、この国の仕組みの基底を見る思いがした。

祭りのしたく、システムとしての規制、人々の心の解放、神事との関わり、近隣のお付き合い。Cimg4209

そして、非日常のコミュニケーションである。

それにしても、若い女性の熱気は何なんだろう。

男のそれよりも、はるかに解放的である。Cimg4223

ひょっとしたら、これからの時代を創るのは女性かもしれない。

女性は、まったく屈託と言うものが無い。

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2007年7月26日 (木)

喫茶子

利休から面々と引き継がれてきた茶道は、Cimg3662

何時の間にか、形式美として理解されるようになってしまった。

しかし本当の茶道は、心と心のふれ合いなのだろう。

もちろん人と人が、簡単に理解し会えるなぞと言うことは、容易なことではない。

利害や感情の対立などと言った場面の方が、はるかに多いのかもしれない。

そんな人間関係の中で、一時の茶を介してのやり取りの中に、Cimg3661

人と人が分かり合えるきっかけを、茶道が作ってきたのだ。

その茶道が戦後の一時期、行儀作法の稽古場になってしまった。

今日、藤枝の藤栄製茶、時田鉦平社長のお話を伺いながら、

お茶の味や形、それに作法は、手段に過ぎないのだと考えさせられた。

茶道を含め、日本のお茶文化が本当に意味を持つのは、Cimg3690

より豊かなコミュニティーの作り手に成り得るか否かなのだと。

ペットボトルの茶は、喉の渇きを癒してくれる。

だが、これに人々の和を創り出す事を期待するのは、所詮無理なことだろう。

さすればインストラクターは、お茶を淹れる技術のインストラクターではなく、

お茶を楽しむ、その術を広めるべきなのだ。Cimg3663

お茶の価格低迷が続いている。

生産者は、ぎりぎりの段階まで追い詰められている。

自分の努力が、必ずしも評価されないことへの苛立ちが聞こえてくる。

だが、時間はかかっても、本当のお茶を楽しむ文化を育てるほか、特効薬は無いのだと思った。

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2007年6月29日 (金)

困った人達の真実

何時の世にも、困った人達がいる。

さしずめ今の日本なら、ニートとか村上某とか、ヤクザものだったりする。

ところが時代によっては、このアウトローが新しい時代を作ってしまったりする。Cimg3524

戦国時代など、乱暴ものが天下を争ったのであって、今日の常人には信じられない世界だ。

演出家の鈴木忠志によれば、田中角栄や美空ひばり、三島由紀夫もその仲間に入ると言う。

三人とも世間的常識を突き抜けて、欲望のままに生きたのだと。

事実、一人は総理大臣まで努めながら囚人となり、やがて言語能力を奪われて死ぬ。

また一人は、暴力団の親分をパトロンにし、天才と言われながら奇病で死ぬ。

一人は東大を卒業した文化人でありながら、自衛隊に殴りこんで切腹する。Cimg3523

・・・と、言った具合である。

要するに、人生を激しく燃え尽きた人たちだ。

その三島由紀夫の戯曲、サド公爵夫人の第二幕を観劇した。

プロバンスの名家、フランソワ・ド・サド公爵と婦人の物語だ。

ちなみにサディズムは、サド公爵の名に由来する。

時代と共に価値観もどんどん変わっていくのだが、

人間とは何なのか、を考えさせる一幕であった。Cimg3173

今日だって、「何で駄目なのよ」とか、年金問題のように「そんな馬鹿な!!」

と言うことがあったりする。

何時の時代だって、はぐれ駒がいて、その存在も一定の意味を持っているのだ。

サディズムという極端な猟奇に託した作者の主張も、何となく分かるような気がした。

でもまあ、芸術性はともかく、肩のこる芝居ではあった。

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2007年6月 1日 (金)

スヌーピーと墨絵

  • 大谷芳照の墨絵を見てきました。Cimg3391

彼は、あのスヌーピーの心を墨絵で表現した人です。

ご存知のようにスヌーピーは、チャールズM・シュルツの描いた漫画のキャラクターですよね。

そのスヌーピーは、徐々に進化しつつ50年間にわたって、世界中で愛されてきました。Cimg3389

大谷は、シュルツとの出会いを通じて、

形を変えてシュルツの精神を56点の墨絵に表現したのです。

シュルツのスヌーピーを借りて、Cimg3390

大谷なりの日本的な調和とジョークの表現に成功したとも言えます。

その何点かを眺めながら、

微笑ましさと同じに心にしみる温かさを感じてきました。Cimg3402

「こんな絵なら身近に置いてももいいな~・・」なと゜と思いながら。

皆さんは、どのように感じます?

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2007年4月28日 (土)

モネの庭

浜名湖ガーデンパークに、忠実なモネの庭が再現されて、真丸三年余になる。Cimg3214

この間、熱心なボランティアの皆さんが、自分の庭のように手入れを続けてきた。

お陰でこの春の庭は、一段と重厚さを増して艶やかである。

おそらく本当のモネの庭は、こんなには美しくなかったはずだ。Cimg3216

第一フランスの春は、日本のように華やかではない。

それに、そんなに庭の手入れが出来なかったはずだ。

しかしながらモネは、その自分の庭を描くことを生涯の仕事にした。Cimg3217

来る日も来る日も、庭を描き続けた。

特に池に咲く睡蓮は、モネの筆をことさら写実的にしたようだ。

池の水草と光の変化を写し取ること、そのことにモネは熱中した。Cimg3219

そして、継続と熱中が「睡蓮のモネ」として、世界中の人々の知る所となった。

私などは、何の取得も無い人間だ。

その上、地道に一つことを続けることだってままならない。Cimg3220

よって所詮は、鈍才でしかない。

人のことをあれこれ気にすることなく、わが道を歩める人こそ天才なのだろう。

時、既に遅しかもしれないが、少しはモネの生き方を真似て見ようなどと考えてしまった。

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2007年4月17日 (火)

大向う

「大向うをうならす」のは、千両役者の本分だ。Cimg3008

しかし我々庶民にすれば、そんな事は人生に一度有るかないかのことである。

もとより衆人に納得してもらって、良くやったと言われるれる人は幸せだ。

それは名物市長であったり、宇宙飛行士であったりする。

だけど一般庶民であっても、何か生きた証を残したいと思うのは極自然なことだろう。Cimg3010

防犯おじさんや交通安全母さんだって良い。

そのことに納得して、打ち込むことができればそれで良い。

こんど私の村の自治会で、防犯ボランティアを募集しようと思っている。

みんなで地域を守っていく。それが自治の基本だと思うからだ。Cimg3011

そもそも「大向う」とは、一般庶民のことなのだ。

江戸の昔、歌舞伎の桟敷席などは、高嶺の花だった。

そして、やや安い二階の正面の席は、向桟敷と呼ばれた。

さらにその奥の立見席が、「大向う」なのだ。Cimg3059

大向うでは、十文くらいで見物できたから、職人や手代などの芝居通が集まっていた。

言うならば、目の肥えた芝居通が毎日のように通うところだった。

それが「大向う」だ。

多くの人々に支持されてこその芝居である。

人生も一時の芝居であるとすれば、大向うを意識しても良いのではないか。

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2007年3月25日 (日)

印象派の画家達

今日は、私にはあまり似合わない話だ。Cimg3018

少しだけ時間があったので、上野の東京都立美術館を覗いてきた。

色々な催しがあったんだけど、

フランスのオルセー美術館展を、駆け足で見てきた。Cimg3041

そもそも絵画は、私の学校時代を通じて最も苦手なジャンルだった。

図画の時間は、何時もやるせない気分であった。

そいつが、美術館なぞを覗くようになったのは、十数年前からだろうか。Cimg3034

もちろん抽象画なんてチンプンカンプンだし、西洋の宗教画も好きではない。

でも、印象派の絵には、何ぜか温かいものを感じていた。

そのルノアールとか、ロートレック、ドガ、モネなどが一気に見られる。

それで、わざわざ出かける気になった。

絵画とは単なる技法なのだろうか。Cimg3040

それとも心を写し取る鏡なのだろうか。

彼らは生涯をかけて、この絵を描き続けてきた。

この一枚一枚の絵から、私が何を感じられるのだろうか?

そんな真剣なまなざしで、会場を回ったのだ。

そんな中でちょっと重く感じたのは、ミレーのグレヴィルの教会かな。

私にとって絵は、とらえどころが無い。

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2007年3月18日 (日)

陶酔の宴

明治の始めの頃の話だ。

遠州に「花の香」と言う酒があって、結構な評判だったんだそうだ。

それが時代の流れの中で、何時の間にか消えてしまった。Cimg2995

その銘酒を復活させようと、色々な人がこの一年うごめいてきた。

鈴木武史さんや杉浦清司さんらの遠州横須賀倶楽部の面々などだ。

もちろん会長は、かつての蔵元であった東京学芸大学学長の鷲山恭彦さんだ。

それに、あの「開運」の土居酒造が力を入れた。Cimg2996

「酒には器が要るだろう」と言うことで、袋井市の陶芸グループ楽土舎の人達も加わった。

そうして今日、幻の美酒の完成を祝って「陶酔の宴」が開かれたと言う次第である。

晴天の下、土居酒造の蔵には300人余の人々が集まった。

石川静岡県知事夫妻も駆けつけていただいて、大いに歓談し楽しい一日を過ごしていかれた。

成さねば成らぬ何事も!Cimg2999

「そんな馬鹿馬鹿しい」などと言っていたのでは、およそ何事もできないだろう。

馬鹿なことができて初めて、まともな事ができるのだ。

人生を楽しむことが出来なくては、生きている甲斐なぞあるものか。

あれもやってやろう、これもやろう!Cimg2997

今日の宴を仕掛けてきた連中だって、義務でなんかとても出来ることじゃない。

見返りは、やり甲斐と仲間だけさ。

お互いに持ち場を分かち合って、一つのことを成し遂げる。

実は、それこそが人生なのだろうと思う。Cimg2993

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2007年3月14日 (水)

食の交流

幕張メッセで、FOODEX JAPANが開かれている。Cimg2948

世界中の食や食材を集めた博覧会で、2,300余の出展をすべてみるのは一日では無理だろう。

かつて食の博覧会は、ヨーロッパを中心に開かれてきた。

でも今では、彼の地に匹敵する食の博覧会が日本で毎年開催されるようになった。

食は、生活文化の最たるものなのです。Cimg2974

その独特の食文化を育ててきたこの日本に、そんな博覧会が無かったのがおかしいのです。

韓国や台湾、中国はもちろん、ありとあらゆる素材が集まっていました。

韓国産の立派なセトカもありました。

フランスはもっぱら各地のシャトーのワインです。Cimg2972

メキシコからは、トマトまで持ち込まれていました。

そう言えば、トマトの原産地はメキシコでしたよね。

世界各地の珍しい果物も、商談者がひっきりなしでした。Cimg2969

世界中の食文化が交流する中で、本当の価値あるものが生き残っていくのです。

食の世界は、限りなく楽しい。

そして、それを支えている農業生産というものがあるのです。Cimg2965

日本の、その農業生産をもっともっと大切に育てましょうよ!

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2007年3月10日 (土)

宮沢賢治を奏でる

浜松の相曾國一郎さんをたずねた。Cimg2927

相曾さんは、ある時以来宮沢賢治の虜になった人である。

否、賢治の代弁をしようと考えた人である。

賢治は、34歳の生涯に実に多くの詩を書き残している。

相曾さんは、その一つ一つを読み解き、四次元の世界を歌で表現している。Cimg2921

彼の歌は、正に賢治の激しい心を歌いこんでいる。

「おきな草」

賢治のトレードマークの黒いシャッポを歌った「風は空を吹き」

当てにならない物ばかりの中で唯一信頼にたる倉掛山を詠った「倉掛の雪」Cimg2925

自らを卑下して「たわごと」

賢治は農学者でもあった。

自らの心からの慈悲を感じさせる「銀のモブド」

ロマンチストな賢治の「星めぐり」

「風と反感」Cimg2922

「政治家」

手本の無い道をひたすら歩き続ける「こころ」

雲や風に生きる源泉を詠う「我が雲に歓心」

「小岩井農場パート9」 

村の祭りを詠い込んだリズミカルな「はらだい見舞練」

最後は「雨ニモマケズ」で締めくくった。

その台詞の「一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜」が何故か印象的であった。

賢治の心を熱く詠った相曾さん、ありがとう!

今夜は、久しぶりに心に響く一時を過ごすことができました。

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2007年3月 3日 (土)

はらの虫

「はらの虫」と言う名のチャリティーコンサートのことです。Cimg2890

平均年齢54歳、高校の同級生のおやじバンドだ。

そのおやじ連中が、プレスリーやベンチャーズなどを3時間近く奏でる。

そもそも、このおやじ連中は、みんな農業経営者である。Cimg2891

立派な経営をしている。

その人達が、お茶の農閑期を利用してチャリティーの演奏活動ツアーをやっている。

自分達も楽しみ、音楽を奏でることに無上の喜びを感じている。Cimg2893

もっと感動的なのは、このバンドのリーダーA氏とボーカルの彼女は夫婦なのだ。

実に、魅力的な夫婦関係というべきだろう。

私など、望むべくもない。Cimg2894

それに又、幕間に登場した男のことだ。

彼は、自分の作詞作曲した歌をギターの弾き語りで楽しませてくれた。

その中味も、実に味があった。Cimg2895

このKさんは、米作の農業者である。

自由とは、こういう事なのだ。

正に、自由人なのだ。

人生を伸び伸びと、自由に生きられるなんて、農業はまっこと素晴らしい。

今夜のコンサートで、私も人生をやり直したいと思ったほどだ。

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2007年2月 3日 (土)

癒しのロボット

ロボットを癒しの素材にできないか、と考えた人達がいた。

ロボットは普通、産業用の工作機械かおもちゃを想像する。

だが彼らは、メンタルなところで人と相互作用できるロボットを目指した。

そして、メンタルコミットロボット「パロ」を生み出した。Cimg2666

パロは、なぜれば気持ち良さそうにするし、名前を呼べば反応する。

もちろん叩いたり乱暴にすると、機嫌を損ねる。

お腹が空くと、餌(電気)をおねだりする。

急に光が当たったりすると、瞬きして避ける。

知能指数にするとどの位になるのだろうか、少なくとも可愛いことは確かだ。

産業技術研究所が、開発したロボットだ。Cimg2668

感心するのは、ロボットに癒しを実現させようとする発想だ。

そもそもロボットと癒しは、一見矛盾した存在だろう。

それを、逆に考えてみる。

その発想が面白い。

このロボットセラピーは、高齢者福祉の現場はもちろん、家電製品などに組み込まれていくかもしれない。

電気掃除機が、掃除を終わるとブルブルッと身を震わせて、「綺麗になったネ!」と可愛くしゃべったりして。

受験生の机の上に一台のロボットがあって、励ましたりやさしく叱ったりするなんて・・・。

さすがに工業都市の、浜松メッセであった。Cimg2667

多くの企業や大学、研究所などが、自らの知恵を披露していた。

その中の一つ、その産総研のブースでのことだ。

研究における、発想の大切さを痛感した。

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2007年1月31日 (水)

たかが茶なれど

当然のことながら私達は、生きるために多くの水分を必要としている。

人間はその水分を、色々と工夫しつつ摂っている。

時にその日常的なものを、嗜好や趣味的なものにまで昇華させてきた。

茶は、その最たるものだと思う。

お茶の有用性を見出したのは中国人で、その歴史は臣前漢の時代にさかのぼる。

紀元前のことだ。

神農の伝説によるなら、5000年前のことになる。

このお茶を日本列島に伝えたのは、仏教修行で大陸に渡った留学僧たちである。

僧院で、覚醒の薬として使われていたのだ。Cimg2659

このお茶が、寺院から庶民に広まるのは、鎌倉時代である。

栄西禅師の著した喫茶養生記が大きな契機になった。

「茶は、養生の妙薬」として知られるようになり、畑の畦際などに茶樹を植えるようになったのだ。

カテキンやテアニン、各種のビタミンを多く含むお茶は、今日で言えば総合サプリメントだった。

結果として、日本人の寿命を幾分長くしたのだろうと思う。

お茶を喫することを、形式美にした室町将軍の足利義満である。Cimg2660

さらに戦国時代末期、千利休らによって総合芸術として、精神文化の世界にまで昇華させた。

いま、その日本のお茶文化が、世界の各地で注目され始めている。

日本食ブームも手伝って、日本の高級煎茶が少しずつ飲まれるようになっている。

そして昨年の輸出量は、1500トンと前年の1.5倍になった。Cimg2661

茶に関わる出版物も世界の各地で発行され、中国産茶も含めて多彩な茶商品がスーパーに並ぶようになっている。

たかが茶だけれど、その中に秘められたものは無限なのかもしれない。

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2007年1月12日 (金)

O-CHAプラザ

少し時間があって、静岡駅南口前の森ビルにあるO-CHAプラザに立ち寄った。

緑茶インストラクターの大石さんから、お茶に関して丁寧な薀蓄を伺うことが出来た。

ほんの30分程の時間だったのだけれど、立ち寄って良かった。Cimg2578

緑茶に対する熱い思いが伝わってきたし、食文化についての少しばかりのヒントを得た。

何故、フランスが国際社会において一定の重きを成すのか。

それは変わることのない、執拗なまでの食文化の重みなのではないか。

たかだか人口だって日本の半分もない、GDPだって知れたものだ。

それでも、フランスはフランスなのだ。Cimg2577

かつて大英帝国は.三百年の栄華を誇ってきた。

地球の各地に植民し、産業を先導しつつ富を集めてきた。

その国が百年で衰亡した。

第二次世界大戦後は、戦勝国でありながら国民の食料さえ買う金が無くなったのだ。

今、日本という国がおかれている位置は、百年前の英国ではないのか? 

中国やインド、ロシアなど次々と産業を立ち上げていく。Cimg2579

この日本という国は、そうした60億のパワーに秀でた何物を今後持ち得るのか。

中国しかりである。

既に中国は、大国としての意識を持って振舞い始めている。

少し前まで小馬鹿にしてきた中国が、胸を張って世界に君臨しようとしている。

「否しかし、日本には優れた技術があるのだ」と、何時まで言っていられるものやら。

この国の拠って立つべきものは、文化ではないのか。

しかもそれは、武士道とか茶文化なのだろう。

たかがお茶ではなくて、その深遠に迫る所の文化を日本食に乗せてこそ、この国の将来が見えてくる。

O-CHAプラザに立ち寄った30分。

無駄ではなかった。

美味しいお茶をいただきながら、この国の将来を考えてみませんか! 

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2006年11月24日 (金)

風の又三郎

 人は誰も、子供の頃の何でもないような出来事を懐かしく思い出すことがある。Cimg2376

 冒険心や好奇心、いじめや恥ずかしさ、いたずら心、未知の世界への畏怖などを、私達は遊びの中から学んできた。

 時を忘れて暗くなるまで駆け回って、何も考えることなく夢中で遊んでいた。

 テレビもゲーム機も無かったあの頃、Cimg2358

 お寺の境内も縁の下や墓石も、田んぼも竹薮も、木の葉でさえ、みい~んな子供達の夢の世界だった。

 どっどど どどどうど ・・・・・・で始まる賢治の「風の又三郎」は、そんな子供の心理を今によみがえらせてくれる。

 転校生の三郎への好奇心、裏返しのいじめ心、三郎が現われたことで新しい遊びへの飛躍がうまれる。

 はたまた、大人たちの営みと関わる子供達の心の機微が、童話の世界に実にリアルに描かれていく。

 そうだよ、そうだよ、そうして子供は成長していくんだよ。・・・・と思う。Cimg2362

 でも、近頃の子供達は、自然の怖さややさしさとかけ離れた世界で生きてしまっている。

 それに、人と人のかかわりの中で遊んではいない。

 その代わり、TVの物語に感情移入したりするんだろうが、体そのものは何も味わってはいない。

 バーチャルな、あくまでも仮想の世界に遊ぶほか無くなっている。Cimg2364

 「いじめ」は、いじめる方もいじめられる方も、そんな心底からの原体験が無いから歯止めがなくなるのではないか。

 せめて、「風の又三郎」くらい学校で読ませたい。

 「風の又三郎」は、賢治の発表されなかった未完成の作品なのですが、(現代に翻訳して)是非読ませるべきだと思う。

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2006年11月23日 (木)

童話と賢治

 「銀河ステーション、銀河・・・~」Cimg2365

 カンパネルラとジョバンニの二人の銀河への旅の始まりです。

 宮沢賢治は、その37年の生涯を、夢の中に生きた人のような気がします。

 賢治の感性は、環境問題や法華経、自然科学、芸術や農村社会問題、教育とあらゆる角度を向いています。

 そして、宇宙空間にすら目を向けているのです。Cimg2360

 農学校の教師として稲作の改善に奔走する一方、

 彼は、おおよそ百篇の童話を書いています。

 今日の日本の童話作家は、多くが女性です。

 童話を書く男性は、ほとんどいないと言っていいでしょう。Cimg2366

 でも賢治は、有り余る感性を持て余しながら、さまざまな童話を書いているのです。

 「法印の孫娘」「フランドル農学校の豚」「セロ弾きのゴーシュ」そして「銀河鉄道の夜」などですね。

 それに「猫の事務所」にも、私はすごく教えられました。Cimg2368

 彼の童話に登場する人物や不思議な行動には、奥深い暗示のようなものがあります。

 そんな賢治の童話が、今日本の子供達にどの位読まれているでしょうか?

 話は少し変わりますが、ベルギーのアントワープを舞台にした童話、 

 「フランダースの犬」を読んだことがありますよね。

 あの貧しいネロ少年と老犬パトラッシュの悲しい物語です。

 子供の頃、この童話を読んで胸がキュンとなったのを今でも覚えています。

 あの童話は、実はその舞台となったベルギーでは、ほとんど知る人が無いんだそうです。

 作者が、英国人の女性作家ウィーダで、ベルギーの人情を冷たく書いているのが理由かもしれません。

 しかし子供の私にとって、アントワープの大聖堂に掲げられたルーベンスの名画の前で死んでいく、

 ネロ少年と老犬の話は大変にショッキングでした。

 ベルギーでフランダースが知られないように、童話とはそんなものだと言うことでしょうか。

 それに、賢治の童話が余り知られないのは、東北弁で書かれていることと、

 今日の私たちの生活が、余りにも自然とかけ離れた所に生活しているからでしょうか。

 それにしても昭和8年、「ああいい気持ちだ・・・・」と言って、37歳でこの世を去った賢治は何者だったのでしょうか。Cimg2367

 ちなみにこの年、日本は国際連盟を脱退、ドイツにはナチス・ヒットラー内閣が誕生しています。

 

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2006年11月10日 (金)

世界お茶まつり

 世界お茶まつりは、2001年に静岡で始まった。

 お茶に関わる生産・流通・消費文化・学術研究・歴史・あそびなど、全ての要素を取り混ぜた世界的なイベント。

 そんなイベントが可能なのか? 当時は、関係者でさえ訝る挑戦でした。

 そのイベントに、世界各国を含めて17万人もの人々が集まった。

 各国のメディアも、この風変わりなイベントを取材に訪れた。

 そしてその催事を目指して、多くの生産機械や茶関連商品が開発されもした。 

 私はこれを、プロジェクトXで取り上げてもらっても良いんじゃないかと思っているくらいだ。

 ともあれ、第二回を2004年に開催し、いよいよ来年は第三回の世界お茶まつりが開催される。

 世界お茶まつりは、歴史になったのだと思う。Cimg2306

 今日から川根本町で、全国お茶まつりが開かれている。

 キムタクの「武士の一分」録画セットでの茶席や、お茶と水研究会の講演会ね創作茶室など、 多彩な催しが繰り広げられている。Cimg2305

 私は、研究会の講座の中で「茶業界の常識を問う」のテーマで、やや挑発的な話をした。

 私の話が、お聞きになった方にどのように響いたのかは分からない。

 でも、時代は明らかに変わりつつあることを伝えたかったのだが・・・・Cimg2302

 そして、需要が供給を生み出すのだということを踏まえて、何をすべきかを伝えたかったのだが・・・

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2006年11月 3日 (金)

オルガン

 今日は、文化の日である。

 私も、少しは文化的なことをしようと思って、浜松カンファレンスに出かけた。

 そこで、オルガニストの絹村光代さんの演奏を聴くことができた。

 オルガンで聴くバッハの「G線上のアリア」など、分からないなりに良い気分になった。

 人の耳に聞こえるのは1万サイクルが限度だけれど、~4万サイクル位まで耳に聞こえない音があるのだそうだ。

 その音をパイプオルガンは出している。Cimg2278

 その耳に聞こえない音こそが、人間の活性を高めるのだと言う。???

 ところで、オルガンのことを、日本ではパイプオルガンと呼ぶ。

 日本でオルガンと呼んでいたのは、小学校の唱歌のアレである。本当は、アレは簡易オルガンなのだ。

 浜松市には本物のオルガンが、フランス製とドイツ製の二台ある。二台もあるのは、珍しい町なのだそうだ。

 オルガンは大変古い楽器で、起源は紀元前2300年頃エジプトで発明されたのだそうだ。

 ラテン語でオルガヌスとは、機械・道具と言う意味だそうです。

 道具は、楽器から始まったのでしょうかね?。

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2006年10月19日 (木)

食文化の成立ち

 私達が普段口にしていて、これこそ日本食だとか、イタリア料理、中国四千年の云々という食文化。

 それはもちろん、それぞれの民族の日々の生活の積み重ねが生み出したものです。

 でもそれは、ずっと昔からのものかと言うと、決してそんなことは無いのです。

 1502年のコロンブスの新大陸発見によって、世界の食は大きく変わることになります。

 そもそもコロンブスの航海の目的は、スペイン女王の要請で、インドの香料(胡椒)を安く手に入れるための航路の発見にありました。

 結果としてインドではなく、西インド諸島、それに中部アメリカに行き着いたのです。

 そして、その大陸には、私たちにとって代えがたい食材が色々とあったんです。

 先ず、トマトです。トマトは、南米のアンデスが原産ですね。

 トマトはイタリアに伝わって、イタリア料理の原点になる。

 トマトソース味のナポリタンですよ。

 それから、唐辛子。これもアメリカ原産です。原産は、「唐」ではないですよ。

 辛い韓国料理もキムチも、唐辛子あっての料理ですよね。

 中国の四川料理だって、今日の味が出来あがるのは唐辛子が伝わってからでしょう。

 もちろん、アンデス高地原産のジャガイモもそうです。

 ドイツ料理ならずとも、私達の食卓からジャガイモを無くしたらまったく味気なくなります。

 肉じゃがも、出来ないんですから。

 交易や交流と言うものは、すごいものを生み出していくんですね。

 今、世界的な日本食ブームなんだそうですが、日本食も世界の食材と出合ってより進化していくんでしょうね。

 私達一人ひとりも、出会いを大切にすることで、もっと豊かになれるかもしれません。

 一期一会ですね。 

 

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2006年8月 7日 (月)

美術館とお茶

 単にお茶を喫することを、芸術の域にまで高めた男達がいた。それは室町の貴族達であり、貿易都市堺の豪商たちであった。利休や宗久たちは、唐渡りの茶碗や茶花、軸などにこだわり、そしてその装置としての茶室をしつらえた。ついに茶道楽を、道にまで育てたのだ。

 素材は何であれ、思い入れしだいで人々は粋を創り出してしまう。秀吉の粋は、絢爛豪華な権力であり、彼ら茶人の心根とはとうてい相容れられないものだったはずだ。

 本来お茶も芸術も、人々の生活の中にあってこそ、その良さを味わうことが出来るものだと思う。気に入った一幅の絵の前で、ゆっくりと茶を味わう。それこそが、生活の醍醐味ではなかろうか。

 ところが絵や彫刻は、美術館の展示品に過ぎなくなった。ゆっくりとくつろぎながら眺めるなど、思いもよらなくなってしまった。

 以前、ロダンの彫刻の前でお茶が飲めないだろうか。しかも日本茶インストラクターが、最高のお茶を飲ませる。そんな企画が出来ないかと、美術館に提案したことがある。結果は案の定、学芸員の総すかんを食らった。「たとえお茶であれ、芸術の前で物を口にするとはけしからん。もしもお茶が、彫刻にかかったらどうするのか。」と言うものであった。ブロンズは、本来野外に展示されているものだと思うのだが、そんなご見解であった。Cimg0220 

 今、美術館の運営はどこも大変なようだ。予算も削られるし、入館者も少なくなっている。芸術のための芸術にしてしまった結果だろうと思う。芸術はマニアのためのものではなく、人々を元気付けたり慰めたりするもののはずだ。 

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