旅行・地域

2012年5月 3日 (木)

母島へ

父島からははじま丸で2時間。20k㎡、人口450人の島だ。

朝7:30、低気圧の影響で波浪が高く、又しても船酔いが心配。

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それで迷っていたSさん、とうとう乗船間際にキャンセルしてしまった。

だがもちろん私達は猪突猛進である。

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その覚悟ににもかかわらず、船は思いの他スムーズで快適なまま沖港に入る。

母島は、父島が出来てから後の海底火山の噴火で出来た島だ。

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9:50沖港に到着。

10;00には最南端の南岬に向けて走り始める。

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往復で17kmほどに過ぎないが、道は登るか下るかのどちらかで、

思いの他しんどい行程である。

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沿道にはハイビスカスが咲き、固有種のオトメカタマイマイが這っている。

そう、母島にはカラスバトやハハジマメグロ、オガサワラゼミなどが多い。

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約一時間で北緯27度、都道最南端に達する。

そこからが問題で、2.5km余のぬかるみの道が続いていた。

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タコノキやヤシ類が生い茂る亜熱帯林が延々と続くのだ。

その木の根とぬかるみに気を取られて、この独特の景観を楽しむ暇もない。

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それでも11:30には最南端の小富士山頂に着いた。

そこには何とも言葉で表現しようのない絶景が広がっていた。

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名残欲しかったが、母島からの便は一日一便のみ。

14時には帰りの船に乗らなければならない。

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と言う訳で、息せき切って沖港に向かったのだ。

結果的には幾分時間が残って、港近くの清美が丘鍾乳洞に行くことが出来た。

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火山で出来た島に何故鍾乳洞があるのか分からないが、

洞内にはガジュマルの根が伸びていた。

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岩の上に生きる植物も必死に生きているのだ。

地面のはるか下まで根を張って、しっかりと生きている。

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思えば私なぞ及びもつかない。

何時も右へ左へ揺れ動いて、戸惑いながら生きている。

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けだし、微動だにしないガジュマルを改めて見上げる。

人の命はたかだか・・・・、それも夢のまた夢だろう。

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人々を愛し、そして、自分の思うままの生き方をしなければなるまいと誓っていた。

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2012年5月 2日 (水)

船酔いから脱出して

東京港から外洋に出ると、船は直ぐに大きく動揺し始めた。

南東の強風が吹いているらしい。

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それでさっきまで丸くなって談笑していた私達も、

一人また一人と横になっていく。

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結局、まだ明るいうちに全員が横になってしまった。

船は前後左右に大きくローリングしていて、歩くのもままならない。

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横になってじっとしている他なくなったのだ。

暗くなってうとうとしていると、近くで寝ていた女性が寝ぼけて、

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「地震だ!」と叫んでいたけど、誰も笑う人すらなかった。

それも眠っていたんだから、立派なものだ。

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ともあれ苦しみながら26時間50分、

小さく切り立った小笠原列島が見えてきて、二見港に着岸する。

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予定よりも1時間半近く遅れたことになる。

小笠原列島はおおよそ30 の島々からなっている。

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そのガジュマルの樹の待つ父島に、13時にやっと上陸である。

到着が遅れた分、私達は忙しい。

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雨の振る中を小港海岸からカヌーで出て、コペペ海岸でシュノーケリングに挑むのだ。

ちょつと肌寒いが何とかなるだろう。

船の中で水着に着替えていたから、そのまま海岸に直行である。

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インストラクターの教えて頂きながら早速波をこえて海に漕ぎ出す。

私は大阪河内のK女子とのペアーである。

意外にスムーズで、会場からは岸壁に開いたトーチカの跡が見える。

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コペペでは、寒かったけど思い切って海に入った。

曇り空とはいえ透明度の高い海中には、沢山のなまこやウニが見える。

かなり泳いで岩陰に50cmくらいのぶ鯛を見つけた。

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が寒くもあり、長居は無用である。

しかしまあ、船酔い明けにもかかわらず良くやった。

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それで夕食後、今度は雨の中ジャングルのナイトツアーに出掛ける。

夜空は見えないが、船中のもやもやを取り戻さなくっちゃ!!

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2012年5月 1日 (火)

小笠原へ出航

小笠原丸に乗船している。

今から25時間30分、南に1000km先に小笠原諸島がある。Dscf3108

かねてから行って見たいと思いながら果たせなかった旅行だ。

人口3500人ほどの島だけど、その味わいをたっぷり堪能してきたい。Dscf3109

もちろん、向こうでは父島と母島を走るのだ。

詳しくは、着いてから書きます。

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東京湾を出ると一切の通信が出来なくなることを知らなかった。

それで慌てて今日のブログを書くことにした。

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では・・・・・・。

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2012年4月29日 (日)

遠州大名行列

東海道は見付宿、その大祭りのメインイベントが遠州大名行列だ。

今年で12回目を迎えたが、その行列には毎回異なった物語が加わっている。

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単なる行列ではないと言うことだ。

確か一昨年は、駒ケ根市生まれの犬のしっ平太郎がテーマだった。

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そして今年は、お江とその娘和子との出会い、そして北斎の富岳絵だ。

実は、私もその行列に遠州藩侯をそば近くで護衛する目付の役で参加した。

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その装束も本格的なもので、一時間ほどかけて係の女性がしっかりと着付けてくれる。

春の陽気に、これ程かと思うほどの着付けである。

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ともあれ、見付宿の西はずれにある西光寺と言う寺が発駕式の場である。

そしてその西光寺には、

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お江の息女で天皇家に嫁した東福門院和子(まさこ)の寄進した日限地蔵尊がある。

寺の表門は、家康の滞在した中泉別荘の門が移築されたものだ。

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そこで北斎が転寝をし、お江と和子の出会いを夢見る設定から行列は始まる。

北斎が住職に起こされて正気になったところから駕が出発するのだ。

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下にぃ~下にの声に合わせて、半歩また半歩ずつ行列は進む。

だがこの半歩が大変なのだ。

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右に左に半歩ずつ前進しなくてはならない。

それに足の長さで歩幅が違うから当然間が空いてしまう。

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そうして慣れない歩き方だし、しっかり着込んでいるから汗びっしょりである。

見物はともかく出演は初めてで、こんなに疲れるものとは思わなかった。

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見付宿に入ると宿役人の出迎えがあって、

本陣では遠州侯(市長)のもとに北斎が呼び出される。

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そこに浜松城代(川勝知事)が訪れるのだが、

北斎はこの場で見付宿から見た富士を書くのだ。

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その折、この絵を門外不出とする約束が交わされるのだ。

後に北斎の富嶽三十六景がヒットするのだが、

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どういう訳か見付宿からの富士だけが含まれていない。

それがこの見付宿での藩侯との約束だったという次第だ。

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行列は本陣を離れ、東木戸に向かって進むのだが、

途中、産婆さんが急ぐあまり行列を横切ると言うハプニングを交えながら、

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最後は宿役人(各自治会長)に見送られて宿場を離れ、

東海道を東に見付天神の坂を登っていく。

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ここまでが4時間余の大名行列のドラマだ。

この歩き方の練習や振り付けに3日間を要した。

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奴っこの中学生などはこの一か月間稽古してきた。

見付は宿場として古い歴史を刻んできている。Cimg6628

そもそも見付とは、西から進んできた旅人が初めて富士を見付けることに由来する。

しかるに富嶽三十六景に何故見付が含まれていないのか?

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そんな疑問を題材に今日の行列を演じたのだ。

暑い一日でござったが、ご同輩衆ご苦労でござった !!

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2012年1月16日 (月)

宮古とドイツ

宮古島に「うえのドイツ文化村」がある。

昨日の100kmマラソン発着のところだ。

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村の中心にマルクスブルグ城が聳えている。

本物のマルクスブルグ城は、ライン河畔の古城である。

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この島とドイツとどういう関係があるのか?

実は1873年(明治6年)、宮古の沖のリーフにドイツ商船ロベルトソン号が座礁している。

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その乗り組み員を宮古の人たちが救出したのだが、

その感謝の意を、当時のドイツ皇帝ウィルヘルム一世が記念碑建立で示した。

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それ以来の縁なのだと言う。

十年程前には、当時の首相のシュレーダーも訪れている。

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まあ、この東シナ海をラインの流れ?と見れば、古城のたたずまいも納得できる。

その古城の近くにドイツ文化を紹介するキンダーハウスがある。

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そこにベルリンの壁があった。

この文化村の建設が、ちょうど1989年の壁崩壊の年と重なって、

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ブランデンブルグ門近くの壁を持ってきたのだと言う。

ともあれ100kmのゴールは、このマルクスブルク城に向かって駆け降りるのだ。

赤い絨毯が城に向かって伸びていて、まるでヨーロッパのようだ。

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城の傍らは、透き通った水が打寄せている。

その東シナ海を監視するかのように、この城は建っている。

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2012年1月14日 (土)

宮古の一日

明日のレースを前に、コースに沿って島を一巡した。

年末のハワイと比較してしまうのだが、いや~ぁ、宮古は良いところだ。

圧巻は来間大橋に池間大橋だ。

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海の上をそれぞれ1.6km1.4kmもの距離を渡している。

透き通った海の上を、これほどかと思うほどスカッと走らせてくれる。

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これはハワイにならってスポーツとリゾートの島にすべしと思った。

でマンゴージュースを飲みながら、「日本のハワイにしなさいよっ!」って言うと、

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店のお姉さんから「いや~あ、宮古は雨が多いからね~」と帰ってきた。

そういやぁ~、確かにカラッーっとした部分が違うかな?

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でも、あちこちにマングローブの森がある。

私が訪れた島尻は、入り江から1kmくらいはマングローブが続いていて、

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ずっとマングローブに沿って進むことが出来た。

こりゃ、カップルには最適だね。

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それから沖縄独特の御獄〔うたき〕も数多い。

平良の街近くの張水御獄は、島の創生神話である人蛇婚説話の由緒あるところだ。

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仲宗根豊見親が八重山の乱の凱旋記念に築いたと伝わる。

私が訪ねた折には、15人ほどが集まっていて、

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二人の巫女がなにやら呪文を唱え続けていた。

と言うより、皆さんの話している言葉がまったく分からなかった。

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そう沖縄は、なかんずく島嶼部は伝統をことさら大切にしているところがある。

泡盛の島、宮古島はそんな古くて新しいところなのだ。

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2011年12月30日 (金)

日立の樹

何百年も生きてきたような巨木には、誰だって神秘を感じる。

あの日立のコマーシャルが始まった頃、この樹を実際に見てみたいと思った。

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そして先日、あの同じ樹と対面することが出来た。

その樹は、オアフ島のモアナルア・ガーデンに確かにあった。

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樹齢約130年、高さ25m 、枝幅約40mのアメリカネムだ。

日立はこの樹を維持管理するために毎年4,500 万円を払ってきた。

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この公園は元カメハメハ五世の避暑地だったのが、

側近に下げ渡されて今ではその者の私有の公園である。

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最近その持ち主が、公園の中央付近にあるこの樹を伐採すると言い出した。

止む無く日立は、大金を出してこの樹の所有者になった。

はてさて公園の持ち主は、金の卵を産む鶏を殺してしまったのかどうか?

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とまれ、この樹を見物に来るのは日本人だけである。

実はアメリカネムは、郊外に出ればどこにでも有ってまったく珍しくない。

枝を大きく広げるから日陰を作るには格好の樹木で、ハワイでは何処にでも見られる。

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その何の変哲もない樹を見に大挙して押しかけるんだから、

現地の人たちは驚いた。

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実はモアナルア公園にはアメリカネムが十数本あって、

あのコマーシャルは、幕を張り巡らせて特撮したものなのだ。

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広い芝生の真ん中に巨木が一本だけ立っている。

私達は、その圧倒的な存在感に心打たれたのである。

そう ! 誰だって思うじゃない。

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「俺も、あんな樹に成れれば良いなあ~」ってね。

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2011年12月28日 (水)

観光立州ハワイ

かつてハワイの産業は、観光とパイナップル〔農業〕そして軍隊と言われた。

農業は、日系移民の始まった明治元年以来試行錯誤されてきて、

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やがてパイナップル生産は世界最大となり、ドールなどの世界的農企業を生み出した。

温暖な気候を生かしてサトウキビやパパイヤなどの果物生産も盛んだった。

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しかし、この2~30年の間に急速に衰退してしまった。

人件費などの経費高騰の一方で農産物価格は下がる一方だったからだ。

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だからパイナップル生産はブラジルやフィリピンに移ってしまう。

そしてデモントなどが農業から撤退しプランテーションは崩壊していった。

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今や、あのドールの僅かなパイナップル生産を残すのみで、

広大な農地が荒地となって売りに出されている。

しかしそんな農地が売れるはずもなく、荒涼たる荒れ地が続く。

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あの日系移民で有名だったハレイワの街も古びて、

その佇まいは移民時代を思わせるほど寂れていた。

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残ったドールだが、現在コナ〔アルワルア〕コーヒーの生産に力を入れている。

しかしこれとて風前の灯で、近く農業からの撤退が噂されている。

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田舎の町にはあちこちに野生化した鶏が飛び回り、

朝でもないのに雄鶏のけたたましい鳴き声がやかましく聞こえてくる。

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ハワイの農業は、ほぼ完全に崩壊しつつあると言える。

結果としてハワイの産業は、観光7割、陸海空の軍隊が2割、その他が1割となった。

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だから当然ながら、沖縄のように軍の騒音への苦情が出ることはない。

軍隊がハワイを支えていることを分かっているからだ。

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ハワイ出身のあの日系議員も軍事予算の獲得に必死だ。

観光産業は水物だし、景気動向にも大きく左右されるからだ。

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ともあれハワイの観光産業は、今の所成功しているように見える。

震災の影響などで減っているとはいえ、日本人観光客のおかげだ。

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ところでTPPの交渉如何で、日本の農業も同じ憂き目を見ることになる。

人件費や資材・環境維持などのコストの高い日本の農業は、

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安価な輸入農産物によって駆逐されていくだろう。

たとえ税金で価格補填がされたとて、競争力を持ち得ないのだから。

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温暖なハワイでさえそうであるように、

日本の農業環境は米国本土とのコスト競争など到底不可能だ。

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農地を潤す治水コストは莫大だし、山川に囲まれた狭隘な農地は如何ともしがたい。

これまで使われてきた農業補助金の大部分は、この生産基盤づくりへのものだ。

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確かに戦後の米を中心にした価格〔所得〕政策では転換を誤ったが、

ただそのことが戦後の日本の安定に資することになったのも確かだ。

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しかしこれから、この日本の農村地帯を荒地地帯にしていって良いものだろうか。

既に荒れ果てている山を見るにつけ、日本人は都市だけに住むことが出来るだろうか?

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いやまた、日本の農村がハワイのような観光産業を育て得るとでも言うのだろうか?

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伊豆など日本の観光地をこれからどうしたら良いのだろうか。

ハワイの観光地にあって、ますます不安は募るばかりだ。

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2011年12月27日 (火)

パール・ハーバー

今日は真珠湾を訪れた。

1941年12月7日朝、この湾と近くの飛行場を連合艦隊が急襲して大戦が始まった。

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第一波の攻撃は170機がトラトラ渓谷をすれすれに進入した。

レーダーの補足を避けるために山の北側、湾の裏側から襲ったことになる。

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真珠湾には空母を除く98艦が停泊していたが、うち18艦が被害を受けた。

中でも戦艦アリゾナは、弾薬庫に命中して5分で爆発沈没した。

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この時1177人がアリゾナとともに沈んだ。

アリゾナは今でも水深14mの湾に沈んだ状態で、その上に記念館が作られている。

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記念館に渡るには船に乗るのだが、その前に真珠湾攻撃の映画を見せられる。

散々に日本軍にやられたのだが、その記録が克明な映像として残っているのだ。

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もちろん撃墜された日本機や座礁した潜水艇の記録も残る。

ともあれ、この日を境にあの悲劇が始まっていく。

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アリゾナの沈没地点から1km程の所に戦艦ミスーリが係留されている。

ミズーリーは、あの湾岸線そーではトマホークの発射艦として使われていた。

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実はこのミズーリが太平洋戦争の終結となった場所でもある。

1940年9月2日、東京湾のかつてぺりーが停泊した地点と同じ場所で、

マッカーサーの前で重光外相以下が降伏の調印を行ったのだ。

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式典は終わるまで25分でしかなかった。

そのミズーリには神風特攻隊の傷跡も残っていた。

ただ一機だけが落とされずにたどり着いて炎上したのだ。

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ただ爆弾は不発で甲板には火が広がっただけで、数分で消し止められている。

残ったは戦闘員の二つに裂けた遺体だった。

この二十歳の特攻隊員の死体は、館長の命令で翌朝葬儀が盛大に営まれたという。

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ともあれ、ここにはあの戦争の回線と終戦が保存されている。

このミュージアムには、世界中から毎日数千人が訪れている。

しかし日本人はその3%に過ぎない。

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平和ボケした日本人にとって、パールハーバーはリメンバーどころか、

既に過去のものにしているのだろう。

日本軍の攻撃で黒焦げになった死体や爆発する戦艦の映像を、

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アメリカの若い人たちが食い入るように見つめていた。

会館の前ではもう少なくなったアリゾナの生き残り2名が戦争を語っていた。

彼らは真実を伝えることにこれほどに忠実なのだ。

かつて日本軍は嘘ばかりついていた。

それに最近の政府の言うことは嘘ばっかりだし、

原発の水素爆発の映像も日本の映像とは違う。

あれもどうやら政府が情報操作たのだろう。

ともあれ、日本人はますます信用されなくなっているようだ。

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2011年12月26日 (月)

ホヌ・カイ

皆さん、メレ・カミキラカ〔メリー・クリスマス〕。

こちらは今日がクリスマスで、昨日と打って変わってどこも休みです。

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それで島の北部のノースシュワーに向かったのですが、

道路も空き空きで快適なドライブになりました。Dscf2522_2

通り過ぎるワイキキのビルは、みんなすっきりとして綺麗です。

広告や表示、そして洗濯物を干すのも景観美化のため禁止されているためです。Dscf2526_3

それにハワイの海はどこも磯臭い匂いがしません。

それも快適を増す重要な要因なのですが、これは磯に昆布が生えないからだそうです。Dscf2524_3

ノースシュワー近くのハレイワの街の近くにサーフィンで有名なビーチがあります。

そのビーチに、ホヌ〔青海亀〕カイ〔海〕が泳いでいます。

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そして私たちが通りかかった時、ちょうど海から上がって甲羅干しをしていました。

亀は州法で触ることを禁止されていて、Dscf2530_2

ちゃんとレンジャーが赤いテープを張っていました。

彼らは毎日この浜で亀を守っているのです。

亀がこの浜にやってくるのは、例外的にここの岩にコケや磯のりが着生しているからです。

それでこのハイレワの街は、Dscf2531

かつて日系人がサトウキビやパインの生産に入植したところです。

今では農業がほとんど崩壊して、サーフィンの世界大会で知られています。

農業に変わってハワイを支える産業は、観光業が7割、軍隊が2割、

その他は1割に過ぎず、観光なくしては成り立たないのです。Dscf2909

かつてこの街に有名な日系一世がいました。

松本という方で、日本から氷搔機を持ち込んでアイスを販売して成功した人です。

今でも松本という店があって、毎日人で溢れているらしいのですが、Dscf2539_2

今日はやはり人っ子一人いません。

うらぶれた古い店が静かに歴史を伝えていましたよ。

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でもノースシュワーのあちこちのビーチで開放的な人々をしっかりと見物してきました。

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