2008年3月 9日 (日)

戦後の農業

戦後の農業は、農地開放と食糧増産から始まった。Cimg5070

そして農地開放は、その後の土地価格高騰のために、

農業経営の規模拡大を著しく阻害することになった。

また食糧増産は、その後の食生活の急激な変化のために、Cimg5068

米やミカン、鶏卵や牛乳など、おしなべて生産調整を余儀なくされてきた。

両方とも、農業を産業として発展させないように働いた。

だから有能な農業者も、遂に徳農家の域を出ることがなかった。Cimg5069

だが今、平成2年のバブル崩壊以降の流れは全く違っている。

土地価格が下がり、規制が緩和され、

そして、世界の経済と食糧事情が様変わりを始めた。

戦後農業の枷が、やっと外れたと言えるのではないか。

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2007年7月13日 (金)

七夕って

タナバタって、何故「七夕」と書くのだろう? Cimg3272_1

そんな疑問を持ったこと、有りませんか? 

素直な私達はひたすら、そう読むのだと教えられてきました。

でも何故そう読むのかは、誰も教えてくれませんでした。Cimg3258

子供の頃、笹竹に短冊を吊るして、願い事を書くのが七夕でした。

しかも、硯を摺る水は、里芋の葉に降りた朝露でした。

この朝露で書くと、字が上手くなると言われませんでしたか。

そもそも七夕は、中国語ですよね。Cimg3253_1

織姫・彦星の伝説も中国古来の伝承ですね。

それにこの日に、裁縫や習字の上達を願うと適うと言うのも、中国から伝わった風習です。

でもそれを、何故タナバタと言うのでしょうか。

タナバタとは、「棚機」のこと。Cimg3252

川に迫り出した棚の上で、女性が機織をする。

お盆にやってくる神様のために、機を織る。

そんな日本古来の習俗を、タナバタと言っていたのです。

中国からの伝承と、日本の習俗が重なって「七夕」になったのだそうです。

日本では七夕は、梅雨と重なって天の川をほとんど見れません。

この時期の天の川は、中国でのことなのです。

そして、この日本列島では、水で身を清める時なのです。

里芋の朝露も、その清めの水だったのです。

とは言え、迫りくる台風四号の洗礼はご免願いたいものです。

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2006年6月17日 (土)

庚申様

 今、庚申様から帰った。昔から集落の組ごとに庚申様があって、60日に一度会食する慣わしである。私の子供の頃は、お膳が家々を回ってきて、我が家が当番となると朝から準備に大変だった。油揚げやサトイモを煮付けたりして、当時のご馳走を作るのだ。終戦後間もない頃で、食べるものも満足になかった。でも当番のこの夜だけは、その家の威信をかけて準備をした。集落の結束は、実はそんなところから始まっていた。Cimg0136

 今日の庚申様は、公会堂でやる。かつて回ってきたお膳も朽ち果てて今はない。残っているのは、猿田彦の掛け軸と、足つきの飯盛椀だけである。これで近所衆が集まって、家内安全・五穀豊穣を祈る。と言うことをいい訳にして、親睦を図ろうという次第である。これが江戸時代以来、延々と続いている。Cimg0137

 もとより庚申信仰は、中国の道教に由来している。人間の体内には「三し虫」がすんでいて、この虫が60日に一度庚申の度に天国の神様にその人間の行状を報告に行く。その報告によって、その人の寿命が決まると言うのである。しかもこの虫は、夜眠っている時に体から出て行く。だから庚申の日には、眠ってはいけないし、もちろん同衾してはいけない。仮にこの日の行為によって子供が出来たなら頭の悪い子になると言うのである。

 だから人々は、 この日は集まって夜通し酒を飲むことにした。今も全国に庚申堂があって、庚申待ちのお参りがある。何のことはない。庶民信仰は、助け合いの輪を広げるための会を創造したのだ。あるいはそれが、庶民の知恵だったのかもしれない。今、隣に誰が住んでいるのかも知らない時代だ。成熟社会の到来と共に、あらたな庶民信仰=コミュニティー創造が必要になっている。

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