2008年7月22日 (火)

富士山を美しく

最近の富士山は、随分と綺麗になった。Cimg6026

めったにゴミを見かけないし、ゴミ袋をぶら下げて登山する人もみかける。

山小屋のトイレも、垂れ流しが無くなった。

裾野の方の廃棄物の不法投棄だって、相当に改善されているようだ。Cimg6030

それも「富士山クラブ」や登山家の野口健さんたちの活動、

そして、世界遺産登録運動を通じた意識の変化が大きく貢献しているようだ。

昨日も、ゴミを拾い集める若いグループを見かけた。Cimg6027

その富士山を来月の2~3日にかけて走る。

田子浦港を午後の6時にスタートして、山頂に至るのは翌日の10時頃だろうか。

山頂を折り返して、再び田子浦港に戻るレースである。Cimg6032

制限時間は、24時間である。

標高差ばかりでなく、気温の差も壮絶なものである。

私は三度目の挑戦なのだが、未だ完全完走は出来ていない。Cimg6031

実は昨日は、そのレースの下準備をかねての登山だった。

雪の残る富士山をゆっくり楽しみながら、今年こそはの思いを深くした一日だった。

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2008年1月26日 (土)

松枯れ

白砂青松と言われるように、松は日本の原風景だ。

天女伝説だって、コロモを掛けたのは枝振りの良い松だった。Cimg4868

その日本の松が、見るも無残な姿になっている。

かつての松林は、赤茶色に変色して枯れている。

海岸の防風林など、防除のされていない所は全滅状態だ。

原因は、マツノザイセンチュウである。Cimg4867

こいつが松ノ木の導管に入って、養分の流れを塞いでしまうのだ。

動物なら、血管が詰まって脳血栓といったところだ。

このセンチューは、カミキリムシに運ばれて次々と広がっていく。

そもそもこのマツノザイセンチューは、アメリカからやってきた。

輸入木材と一緒に、日本に広まったらしい。Cimg4866

この外来のセンチューに、日本の松はからっきし抵抗力が無いのだ。

私が週末を過ごす小笠山も、かつては赤松の山だった。

ところが今では、松は残骸ばかりである。

米国からやってきた小さな虫が、日本の景色を変えてしまった。

いやいや、変わってしまったのは、景色だけではなかったな~。

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2008年1月25日 (金)

温暖化の波紋

今開かれているダボス会議でも、地球環境は大きなテーマだ。

そして、地球の温暖化は、温室効果ガスの増加が大きな要因になっている。

それで、極地の氷の減少やら、異常気象の多発やらと、Cimg4837

あちこちから警鐘の音が聞こえてくる。

私達人類が、こんなにも多くのエネルギーを放出しているんだから、

このちっぽけな地球が温暖化して当然のことだろう。

困ったことなのだが、個々人のレベルではその切迫感は薄れてしまう。

「そんなの、関係ない!」と、なりがちなのだ。Cimg3880

多くの人々にとって、将来よりも今の方が大切なのだ。

だが、影響は着実に広がり始めている。

最も敏感なのが、農産物なのかもしれない。

温暖化で、害虫などがどんどん北上している。

それに梨やリンゴの花が、秋に咲いてしまったりする。Cimg4859

私の作っている葡萄だって、熱帯夜が続くと着色しなくなる。

亜熱帯性の米だって、既に影響が大きい。

そもそも米の単位面積あたり収穫量は、九州や西日本では500kgくらいだ。

それが昼夜の温度差の大きな東北では、800kg位は結うに採れる。

気温が高いと、エネルギーを呼吸で使ってしまうのだ。

それで、肝心の実のほうに力が行かないのだ。

もちろん、胴割れが増えて品質が著しく低下する。

マクロな地球規模では、あちこちで記録的な旱魃が起こっている。

いずれにしても、食い物から私達の生活を脅かし始めている。

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2007年7月 4日 (水)

異変の予兆

天候の異変は、私たちの生活に大きな波紋を起す。Cimg3547

だが今年、これから起ころうとしている異変は、人為も加わって際立ったものになるかもしれない。

まず、米国の西部や南東部、中国東北部で深刻な旱魃が起こっている。

その逆に中国南部や英国では、時ならぬ豪雨が続いている。

原因は、ラニーニャ現象だと言うが、Cimg3544

気性変動に最も影響されるのは、農業生産だ。

農業は、その土地・その土地に適した営農が営まれている。

突然の気象の変動に、とてもフレキシブルに対応できるものではない。

と言うことは、今年の農業生産は、ひょっとするとかなりのダメージを受ける可能性がある。Cimg3545

気象に加えて、それに拍車をかけるのが、穀物からの燃料生産だ。

今年は改めて、私たちの食について考えさせられる年になりそうだ。

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2007年6月22日 (金)

梅雨空

六月の下旬になって、久しぶりの梅雨空だ。Cimg3515

どうも今年は、空梅雨のようだ。

特に関東は、ほとんど降っていないようだ。

毎年うっとおしい梅雨なのだが、実は降るべき時にはチャンと降ってくれないと困る。

何故、この列島に梅雨があるのか?Cimg3510

実は、日本列島の位置している緯度30度付近は、赤道付近の上昇気流が降下する所だ。

上昇気流のないところには、雨が無い。

だから同緯度の大陸内部は、おしなべて砂漠か半乾燥地帯になっている。

シルクロードが典型的だし、南半球のオーストラリアもそうだ。Cimg3509

ところが日本列島は、典型的なモンスーンになっている。

それは、上空を流れるジェット気流のお陰だ。

ジェット気流が、少しばかり北に移動して、ヒマラヤ山脈に衝突する。

それが、高温多湿な小笠原気団と寒冷で多湿なオホーツク気団の衝突を起し、

梅雨前線を作り出している。Cimg3507

そして、その上空8000mの現象が、この列島に潤沢な雨をもたらす。

水は、中東は言うに及ばず、中国だって貴重なものになっている。

日本人が、水に苦労しないのは、ジェット気流の微妙な変化のお陰なのだ。

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2007年6月10日 (日)

ササユリの季節

梅雨がまじかになって、私の好きなササユリが咲き始めた。Cimg3475

ユリには、オニユリやカノコユリ、スカシユリなどと、様々な種類がある。

その多くが、けばけばしくその美を競い合うようなユリのように感じる。

そんなユリの中で、質素で遠慮がちに咲くのがササユリだ。Cimg3474

派手さは少しも無い。

実に控えめと言えるユリだ。

清楚な、実に清楚なユリである。Cimg3471

実はこのユリ、熊笹に混じって笹のように生きる強さを持っている。

花を咲かせなければ、笹とまったく区別がつかない。

正に、ヤマトナデシコではないか。Cimg3469

望むらくは、こんな女性と共に過ごしたいと思うようなユリだ。

私が週末を過ごす小笠山には、走路のあちこちにこのササユリが咲いている。

このササユリが、三輪の花を着けるまでには、かれこれ5年近くを要している。Cimg3470

そんなササユリの傍らを、走ることのできる幸せ。

週末の雨の林を走りながら、ひそやかな幸福を感じていた。

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2007年5月27日 (日)

山と人とお茶と

人々は山に生業を求めて、千年も前から中山間に住み着いてきた。

獣を獲り、山の木や野菜を育てて営みを続けてきた。Cimg3248

近世の経済・工業社会は、そんな山の営みをずっと否定し続けてきた。

それで山に住む人は、老人と僅かばかりになってしまった。

山また山のこの日本列島の大部分が、人の住まない所になろうとしている。

大都市の快適なマンションなんて、本当は人の住む所ではないのかもしれない。Cimg3255

隣に誰が住むのかも知らず、みんな孤独でせせらぎの流れすら身近にはない。

辛うじて、お茶のある所に人が住んでいる。

山の斜面に幾ばくかの茶園があって、一定の所得が得られたからだ。

お茶が、山の生活を支えていたのだ。Cimg3260

だがそのお茶も、少々怪しくなっている。

高度経済成長期に、みんなヤブキタになってしまって、特徴のある山の茶が無くなった。

生産条件の劣悪な山の茶が、平坦地の茶と同じ土俵で競争できるはずがない。

それで、山を放棄する人が増えているのだ。

山では、そこでしか作れないお茶を生産して、Cimg3269

山でなければ出来ない豊かな生活をするのだ。

そんなやり方こそ、山の生活を復活させることができる。

ともあれ、希少価値を創造して、山の生業を取り戻すことだ。

手摘みする農家の皆さんを見ながら、そんな事を考えた。

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2007年5月16日 (水)

葉はなぜ緑色?

私達にとって緑色は、まさに癒しの色だ。Cimg3257

子供の頃、私の学校の下敷きはいつも黄緑だった。

おっちょこちょいな私は、試験の時など何時も慌てて不本意な成績になってしまう。

それで、身の回りに緑を多く持つように心がけてきたのだ。Cimg3256

接阻峡から大井川を下りながら、葉っぱは何故緑なのかと考えていた。

「葉緑素があるからさ」という答えは、単純すぎる。

光合成を司る物質が緑色で、それを葉緑素と名付けたに過ぎないからだ。Cimg3253

そもそも植物が吸収してしまう光は、私達の目には見えないはずである。

それで七色の光のうち、植物が要らない光が緑なのだ。

つまり植物は、赤や黄色などの温かな光をエネルギーにしているのだ。

そんなエネルギーが不要になると、赤や黄色を跳ね返して紅葉するのだ。Cimg3249_1

古の私達人間にすれば、紅葉は冬の到来を警告する危険信号だったはずだ。

山が赤くなれば、冬を越すための食料や薪を整えなくては生き残れない。

そして緑は、生き物の活動の青信号だったのだ。

その新緑の中を、息を弾ませながら走る。

「緑は、生命の発露そのものではないか」などと愚考していた。

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2007年5月11日 (金)

磯枯れ

近頃では、沿岸漁業がさっぱりだそうだ。

魚がいなくなったのだと言う。Cimg2676

その原因の多くが、磯枯れ(磯焼け)のようだ

海中の海藻林が、枯れて無くなってしまうことだ。

近頃は、遠州灘でもこの磯焼けが顕著だ。

原因は、二つ有る。

一つは、黒潮の大蛇行によって海水温が上昇したためだ。

カジメなどの海藻は、水温が下がらないと新芽を出さないのだ。

二つ目は、海藻を食べる魚が増えたことだ。

そもそも海藻を餌にしている雑食性のアイゴは、人間の食べない魚だ。

人間が漁の対象にしないから、どんどん増えていく。Cimg2772

こいつらが、成長の止まった海藻を食べ続けるもんだから、自然のバランスが一気に崩れてしまう。

海の林がなくなって、魚の棲む所も失われていく。

人間の都合(自然破壊)が、ここでもブーメランのように人間に影響してきている。

地球の自然は、結構ナイーブなのだ。

私達の目に見えないところで、様々な破壊が起こっているのだろう。

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2007年5月 6日 (日)

葡萄の個性

9品種の葡萄を栽培している。Cimg3236

棚付けやら花房整理やら、ジベレリン処理やらと繁忙期を迎えている。

伸びた枝をちゃんと棚に這わせるのだが、

簡単にボキッと折れる品種、しんなりとたおやかな品種、少々の刺激にはびくともしないものなど様々だ。

ジベ処理する品種は、房の先っぽだけを育てる。Cimg3238_1

その残した粒が、大きく大きく育つのだ。

ジベ処理は、無核化のためと肥大促進のため、二度行う。

その印に、花房の枝を二本残しておく。Cimg3235_1

そして、処理する度に切除するのだ。

花の咲き方も、品種によって微妙に違っている。

人間も人によって、感じ方も話し方も違うように、

葡萄だって、品種によって対応を変えなくちゃいけない。

この連休で、一渡りの棚付けが終わった。Cimg3239

しばらくは、朝五時から一時間半余り、ジベレリン処理をしなくっちゃいけない。

不思議だね。

葡萄が待っていると思えば、起きられるんだから。

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2007年3月27日 (火)

花もいろいろ

この地球上には、25万種もの花を咲かせる(顕花)植物が有る。Cimg2628_1

それでその花が、色はもちろん形や匂い、花の咲く時期など、それぞれにみんな異なっている。

要するに万変、とりどりなのだ。

何故、そんなにいろいろな花が出来たんだろうか?  

もちろん答えは一つ。Cimg2636_1

子孫を残すために、競い合って様々に変化して生き残ってきた結果なのだ。

その花の色は、アントシアニンとカルテノイドに類する色素の具合によって決まってくる。

ただ、白い色は色素ではない。

生物界に、白い色素は存在していないのだ。

では、どうして白く見えるのか。Cimg2885_2

要するに色素が無くて、細胞の中に微細な空気の泡があると白く見えるのだ。

天の配剤は、そんな具合に変化をつけて、個性を引き立たせている。

ところで私たちの個性は、如何なるものによって発現するのか。

おそらく 生きてきた過程と、生きる姿勢なのだろうと思う。

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2007年2月 7日 (水)

砂漠化と農業

農業が、地球の砂漠化を押し進めてきたのではないか? 

総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授の指摘だ。Cimg2690

中国のタクラマカン砂漠で発見された小河墓遺跡からは、200体近くの小麦の袋を抱いたミイラが出土している。

それに、太い木の柱や牛の頭骨が出土し、4000年前にそこで農業が展開されていたことを物語っている。

今は砂漠の只中だが、そこは緑豊かな土地だった可能性が高い。

さらにこの遺跡から100km東に行くと、そこには楼蘭王国があった。

この楼蘭も800年の繁栄の後、紀元400年頃には忽然と消えてしまっている。Cimg2691

佐藤教授は、その砂漠化の原因の一つが、人間活動の結果ではないかと言う。

つまり、水を引いて潅水し農業を続けた結果、土壌に塩がたまって穀物はおろか草すら生えなくなった可能性を指摘するのだ。

そういえば、文明の発祥地メソポタミアも、今はほとんどが砂漠になっている。

雨の少ないオーストラリアでも、塩害の影響は深刻になっている。Cimg2692

人間はこれまで、農業生産の拡大のために、品種改良と化学薬品(肥料・農薬)の開発、それに灌漑用水の整備に必死になってきた。

ところが、そうした行為が自然環境のバランスを崩し、見えないところで食糧危機を生み出している可能性がある。

多様性の維持と言うことと、人間の知恵の程度を謙虚に見詰めなおす必要がありそうだ。

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2007年1月26日 (金)

河津桜

まだまだ寒い日が続くのに、花の話では少し急ぎすぎだろうか? 

でも、もうすぐ立春(2月4日)だし、花の便りも届き始めた。

梅の花がほころび始めたし、南伊豆では一番咲きの河津桜が三分咲きになったそうだ。

河津川沿いの桜並木は、2月9日には二分咲き位になりそうだ。

そして、2月の10日からは河津さくら祭りが始まる。Cimg2617

一足早い春を訪ねて、毎年120万人もの人々が訪れる。

「花は桜木 人は武士」とは、カナ手本忠臣蔵の書中の言葉だ。

武士の散り際のいさぎよさを讃えている。

だが桜花には、はかなさの方をより強く感じる。

だからこそ、愛でたくもなるのだろう。

一方、桜は散って終わりではない。Cimg2621

散ってから、一年が始まるのだ。

それに、花が散った瞬間から来年咲かせる花の準備を始めているのだ。

サクラの枝を切ってハウスに入れておくと、一斉に開花を始める。

もう花芽の準備は、万端なのである。

春は、もう直ぐそこまでやってきている。

『 陽だまりに 育つつくしや 春のきざはし 』

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2007年1月14日 (日)

海岸侵食

ナイル川にアスワンハイダムが出来て以来、河口のロゼッタ岬が4.5km後退した。

黄河は、世界中の河川の10%もの土石を流出する。Cimg2606

正に、海の色を変える大河だった。

今、黄河の水は内陸部で分水されて、断流が起こっている。

黄河から、土石が流れ出さなくなったのだ。Cimg2607

急流の多いこの日本列島も、土石移動の激しかったところだ。

しかし、大河川にはダムが幾つも出来て、土石の流れは止まった。

海岸には、港やえん堤が整備されて、砂の流れは一変してしまった。

砂浜はどんどん狭くなって、いたる所に浜崖が発生している。Cimg2604

この50年、私達は自然を超越したかに見えたのだが、いささか早合点であった。

海岸はガードブロックだらけになり、近くの道路にも波がかぶるようになった。

ウミガメだって、えらく迷惑している。Cimg2608

天竜川の河口、遠州灘も砂浜が少なくなってしまった。

中田島砂丘だってそうだ。

たったの50年で、かくも変わってしまう。

美しい海岸を復元しようとする動きは、まだ始まったばかりだ。

50年後の遠州灘は、元気を取り戻しているだろうか。

そして、50年後の黄河下流域には、いったい何が起こっているだろうか? 

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2007年1月 9日 (火)

ウラジロ

私が週末に走っている小笠山には、ウラジロ(裏白)がいたる所に群生してる。

ウラジロは、常緑のシダ植物で関東以西に広く分布している。Cimg2574

暮れになると、この裏白を採って来て、注連飾りや鏡餅の飾りにする。

マツタケなどの山の幸の下敷きに使ったりもする。

その言われは、あんまり良く分かっていないけれど、一つにはウラジロの葉の寿命が長いことだ。

地下茎から伸びだした茎からは、一対の羽片が左右に広がる。

翌年、この葉から再び子供の羽片が伸びて成長していく。Cimg2572

つまり、一年に羽片を一対づつ展開しながら、何年にもわたって成長していく。

そして、葉の裏にはびっしりと白い胞子を着けている。

夫婦代々、共白髪まで長生きしますように! 

・・・という訳である。

日本人は、このウラジロをそんな思いで眺め、習俗にまでしてきたのだと考えると、人間というものの本性の一部に触れたような気になる。

乾燥した半日陰の北斜面には、色艶の良いウラジロがつやつやと育っている。Cimg2570

亜熱帯の地域では、このウラジロが巨大になって、一種のつる植物のように10mにも達するという。

平地では見られないこのウラジロの林を走りながら、人間と自然の縁の深さを考えている。

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2006年11月30日 (木)

華やぎの秋

 収穫の秋から華やぎの秋に、季節は刻々と移ろっていく。Cimg2371

 モミジは、その木一本でも限りなく華やかな風情を醸し出す。

 その姿は、満開の桜に決して劣ることはない。

 それに時々刻々と、その色合いが変わっていく様は、自然の化身と対峙しているようですらある。

 私の勤務している事務所の銀杏並木が、落ち葉折しく銀色の道を作っている。Cimg2397_1

 ついこの間までのうっそうとした並木が、やけに明るくなってキラキラと輝いている。

 四季の移ろうこの国に生まれて良かった。

 つい、そう思ってしまう。Cimg2398

 その紅葉を求めて、多くの人々が出かけるようになった。

 晩秋は、本来うらぶれた季節のようにも思える。

 でも人々は、紅葉の有終の美を求めてあるく。

 この週末、紅葉の名所は車の大変な渋滞が続いた。

 あるいは、この時代の成熟の表れなのかもしれない。Cimg2338

 落ち葉のはらはらと散る隣に、リュウゼツランの花が咲いていたりする。

 だけどその花が、何故か場違いな寂しさを感じさせたりする。

 そう! 人は皆、季節に同化しようとしているのだ。

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2006年11月28日 (火)

メダカと農薬

 いつ頃からか、メダカがいなくなった。

 同様にタニシもカラス貝も見られなくなった。

 ♪「誰が生徒か先生か、みんなで仲良く遊んでる」♪

 そんなメダカの群れを、ついぞ見かけなくなった。

 何故だろう? 

 そりゃ~、農薬のせいだよ!

 誰もが、それで納得してきた。

 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」以降のこの40年、

 農薬の規制は、大変もなく厳しいものになっている。

 毒性だけではなくて、分解の早さや効き目の選択性も農薬登録の条件になっている。

 魚への影響(魚毒)も厳しくチェックされる。

 今日の田んぼへの農薬で、メダカが死ぬ訳はない。

 では何故、メダカがいないのか。Cimg2399

 それは、メダカの住める所が無くなってしまったのです。

 この40年、田んぼの耕地整理がされて、用水と排水が分離され、

 それに、水路はみんなコンクリートになってしまいました。

 それで田んぼには、必要な時しか水は流れてきません。

 普段は、からからに干上がっているのです。

 その用水に流れてくる水だって、ダムから取水されて長いトンネルを流れて、

 パイプライン(水道)で送られてきたりするのです。

 メダカの住むところなんて、有るはずがありません。

 水が無くては、メダカは生きられないのです。

 と言う訳で、メダカがいなくなったのは、農薬のためではなかったのです。

 根拠の無い嘘に、これまで私達は得心していたのです。

 嘘だと思ったら、年中水の有る場所を探してみてください。

 そこには、きっとメダカがいますよ。

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2006年11月 9日 (木)

地球と炭酸ガス

 世界気象機関は、昨年の大気中の炭酸ガスの濃度が379ppmになったと発表した。

 もちろん、観測史上最高の数字である。

 ほぼ50年前の数値が315ppmだから、64ppm(2割)も増えたことになる。

 それに最近の十年では、毎年2ppm近く増え続けているのだと言う。

 アメリカの気象学者ジェームス・ハンセン氏は、「地球に残された時間は、10年しかない」と警告している。

 このまま炭酸ガスを放出し続ければ、2~3度気温が上昇することで、地球は異なった惑星になるだろう・・・と。

 百年前の地球の人口は、16億人に過ぎなかった。

 それが今日では60億人を超え、その人類がこぞって石化エネルギーを消費している。

 地球が46億年もかけて蓄えた石炭を掘りつくし、石油を汲みつくそうとしている。

 このまま限りある資源と環境を浪費していくなら、人類が生存できるところはやがて無くなってしまう。

 出来る限り早く、再生可能なエネルギーに転換しなくちゃいけない。

 それは、バイオ燃料への転換の他ない。

 自ら田畑や山で燃料を生産し、その燃料を消費する限り破滅は起こらないだろう。

 科学技術は今、燃料生産のためにこそ必要なのだと思う。

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2006年11月 6日 (月)

ツワブキ

 何時の間にか、ツワブキの花が咲いている。

 漢字で、「石蕗」と書く。Cimg2297

 垣根の北側なぞの半日陰に生えていて、秋から冬にかけて黄色の花をつける。

 葉は蕗(ふき)のようで、花は菊に似ている。キク科の多年草だ。

 蕗の字が当てられているとおり、古くからキャラブキのように山菜としても利用されてきた。

 春先の若い葉柄を摘んで、皮をむいてゆでる。

 これを水に晒してあく抜きをし、煮物や揚げ物、粕漬けなどにする。

 それに加えて葉の部分は、湿疹などに効果があるらしい。

 ちょっと控えめで、茶室の庭に良く似合うツワブキである。

 話は変わるが、今年はお茶の花が数多く咲いている。

 先日牧の原で、茶園の色が変わるほど咲いているのを見て驚いた。

 茶の畝が一面黄色なのだ。Cimg2293

 しかし良く考えてみると、茶の樹は葉を伸ばすためではなくて、花を咲かせて実を成らすために生きている。

 花が咲いて当然なのである。

 それに茶の樹は、山茶花や椿と同じ仲間で、カメリア・シネンセスというツバキ属の名前を持っている。

 かつては、お茶の実を採って、その実をまいて増殖させたのだが、

 今では挿し木の技術が当たり前になって、花は無用の仇花扱いされるようになった。

 同じ地味な花であっても、人間と同様その咲かせかたが肝心なのかも知れない。

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2006年10月 5日 (木)

桜花

 サクラは、東アジア一帯に分布している樹だ。

 でも、園芸種のほとんどは日本産なのですね。

 よって、サクラが日本を代表する花になったのです。

 当然に日本には多種多様なサクラがあるのですが、実は、この秋に満開になるサクラがあるのです。

 10月サクラと呼ばれて、一人ぽつねんと咲いています。何故か物悲しそうでもあります。

 古来から日本では、サクラは春と決まっていて、

 10月サクラは、一生懸命に咲いているのだけれど、Cimg0371

 人々には 「オャ、狂い咲きかな?」 としか見てもらえない。

 この点、早咲きのサクラは得をしている。

 我が家に、早咲きの河津サクラが3本植わっている。

 これはもう既に葉を落として、冬篭りの体勢にあるのだが、Cimg0372

 この河津サクラは、2月中旬から花を咲かせる。

 そして河津の町には、このサクラ見物に毎年100万人もの人々が押し寄せる。

 春を待つ心が、人々を誘うのだ。

 だけど、秋に咲くサクラには人々は集まらない。

 気分は 「冬を前にして、今更サクラが咲いて何とする」 と言ったところだろう。

 人間にも、大器晩成という言葉がある。 

 それなりの意味は有るのだが、大抵は出遅れに対する慰めの言葉である。

 不肖私なぞも、秋咲のサクラなのかも知れないと思っている。

 それとも 「やはり野に置け レンゲ草」 かな?

 『 晩成の 春が恨めし 桜花 』

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2006年10月 4日 (水)

金木犀

 気品のある香りが漂ってくる。金木犀の芳香だ。

 私の勤務している研究所の隣が公園になっていて、沢山の金木犀が植わっている。

 その金木犀が、一斉に花を咲かせて香っているのだ。Cimg0367

 学名をオスマンツスと言って、ギリシャ語で「においの花」を意味している。

 日本の暖地には、ごく普通に見られる樹だ。

 良くある樹だけれど、どんな所でも花を咲かせるという訳ではない。

 金木犀は、空気の汚れた所では絶対に花を咲かせない。かなり繊細な感性を持っているのだ。

 だから金木犀の香りは、クリーンな証だともいえる。

 ところで、葉先に棘のあるあのヒイラギも、この木犀の仲間だ。

 ヒイラギの花は白色で、金木犀の形状によく似た花をつける。

 ヒイラギは、特有の棘ゆえに縁起木として玄関先などに植えられている。Cimg0368

 でも、この木の葉は、老木になるにしたがって丸みを帯び、棘がなくなっていく。

 私のように、何時までも丸くなることの無い朴念仁とは、大変な違いである。

 『 歳につれ 諭すヒイラギ 恨めしく 』

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2006年10月 2日 (月)

宇宙船地球号

 この地球号は、60億人もの人々を収容する巨大なものになった。

 巨大な収容力を持ったそもそもは、約一万年前に始まった農耕に起因する。

 農耕以前の人類は、自然生態系の一部でしかなかった。

 それが、自然を人間にとって都合の良いように改造し、二次的な自然を創ることで生産力を高めてきた。

 単一な作物を大量に栽培するだけでなく、森林までも杉や檜の純林に変えてしまった。

 否それだけではない、大量の化学合成した農薬や肥料を振り撒き、極端に偏った生態系を造り上げてきたと言える。

 自然から収奪する技術ばかりが肥大化してきたのだ。

 そうした自然生態系の歪みは、常にバランスが取れるよう、これまでは自然の復元力が働いてきた。

 それは、農薬や薬剤に対する抵抗性の獲得と言う形であったり、時にハリケーンのような大規模な自然災害であったりする。

 この地球号の生態系の許容量は、いったい何処までなのか。どこまでならば、破壊が許されるのか。

 花粉症やアレルギーの蔓延は、そんな許容の限界を教えているのかもしれない。Cimg0341

 巨大な人口を抱える中国やインドの経済成長は、その許容量を試すような不気味さがある。

 大量のN化合物の集積や産業廃棄物が、確実にこの地球号を破壊していくような気がする。

 私達は、人間も自然の一部であることを何時の間にか忘れてしまっているようだ。

 

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2006年9月24日 (日)

山のキノコ

 この時期、山には様々なキノコが生えてくる。その傍らを走りながら、かつてに呼び名をつけている。

 真っ白で不思議な形をした「ドーム」。何だか、幻想的な形です。Cimg0327

 今、一番多いのがこれ。歌舞伎に出てくるような紅い「カサ」ですね。Cimg0328

 ひょっとしたら食べられるのかと思える。「ヒビ」割れに特徴があります。Cimg0329

 「黄色」が、ちょっと毒っぽく見えます。食べるには勇気が要りそうです。Cimg0330

 小さくて一人ぼっちのキノコもあります。

 シメジのような感じのキノコです。でもシメジじゃないですよね。

 「ねずみ」色をして、とても地味地味なやつです。こんなキノコを見ると、何故キノコは、全体に派手な色彩なのか考えてしまいます。Cimg0333

 形だって色々なキノコがあります。これは花のようなカサになっています。Cimg0335

 ちょっとグロテスク。一瞬、ウンコの固まりかなって思っちゃいますよ。またまだありますが、そんなキノコを横目に山の小道を走るのです。  『 走りつつ 菌茸愛でつ 小笠山 』Cimg0336

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